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舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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2006年 03月 05日 ( 2 )

 この作品は、私の知る限り、五反田団初の、「チラシと実際の内容が違う」作品であった。その理由は、当日パンフレットに書いてある作・演出の前田司郎の言葉からうかがい知ることができる。長い劇作生活、そんなこともあるのだろう。
 
 今回、MONOの金替康博が客演している。彼はMONOでも外部作品への出演でも、彼の飄々とした持ち味を活かしつつ、その役にはまり込める人だ。
 私が昨年のクリスマスに見た風琴工房「サイケデリック・フルーツパフェ・ミニ」での阿部薫では、鋭さと繊細さのある演技を見せていたが、今回の役では、五反田団おなじみの情けない男を、五反田団史上最も情けなく演じてみせた。
 見た目の雰囲気が前田司郎と金替康博は似ているなあ、と思っていたが、役者の力量なんですかね、そのはまり具合は想像以上だった。しかも、それが前田司郎や黒田大輔が演じると「まだ若いから」と許せそうなやんちゃさが垣間見られるのに対し、金替の演じる「男」は、ニートと呼ぶにも救いのなさそうな前田や黒田の演じるところのダメと、いわゆる「ダメな大人」の間の微妙な位置に立つ、純粋なんだけど、パワーのない「だめさ」を持つ人物になっていた。

 それに対し、私としては残念だったのは、女性陣。台詞の言い方が全員まだ固く、またそれぞれの役を自分のものにしているようには思えなかった。五反田団の作品の特徴である微妙な間合いも表現できていなかった。金替がうまいだけに、ちょっと惜しい。このあたりは回を重ねるごとにこなれてくる部分かと思う。
 
 戯曲でも、ちょっと惜しいなあ、と思った点がある。それは、今回の作品では、台詞で話を動かそうとしている部分が多いことだ。
 これまでの五反田団の戯曲は、テーマを台詞で説明するのではなく、それぞれに特徴がある登場人物が、そのキャラクターを発揮しながら動いていくことで物語を展開していたのだが、今回の作品が愛についてのものであったせいか、言葉に頼る部分が多くなってしまっていたように思う。
 それでも、正月の工場見学会のときに上演した「逃げるメン」にあったような観客のイマジネーションを刺激する突拍子もない展開が観られたのは良かった。(これは観てのお楽しみということで)

 全体として、どこかぎこちない部分を残したままで公演期間に突入してしまったように思えるのはちょっと残念だが、これからまだ公演は続くことだし、その中で変わっていくところもあるだろう。

  前田司郎は、前回の「キャベツの類」のあたりから五反田団的な「大人」の作品を模索している最中なのではないか。その行方をしっかり見届けていきたいと思うのであった。


以下、あらすじ。ネタバレ部分もあるので、ご注意ください。


〔あらすじ〕
 男は、即身仏になりたいと願って、ゴマしか食べず、外出も一切しない。部屋には大量の撮影済みフィルムが転がっているが、
彼は現像に出しに行こうとしない。
 この男は、瞳という恋人と同棲しているが、稼ぎがあるわけではないので、家賃も食費もすべて彼女もちである。
 あるとき、彼の目の前にゴマの精が現れる。ゴマの精は、彼が世界で7番目にゴマを食べている人間であることを告げ、このままいけばゴマになれる、と語りかける。
 その後も即身仏になるために精進し、ついには自分の尿以外何も口にしない生活を始める男。そんな彼に瞳は愛想をつかして出て行ってしまう。それでも彼は即身仏になるためのオリジナルの修行をやめようとしない。
 「ゴマを食べ続ければゴマになれる」といったゴマの精に対し、「ゴマではなく即身仏になりたい」と打ち明ける男。彼に対しゴマの精は「ゴマも即身仏も同じだ」と答える。そしていつの間にか港らしきところに男は立っていることに気づく。傍らには出て行った筈の瞳がいる。二人は傘を使って空を飛び、シュールかつ楽しいひとときを過ごしたあと、二人は温泉宿に到着し、なぜ別れようとしたのかしばし語り合い、やがて眠りにつく。
by turujun | 2006-03-05 20:34 | 演劇
 とうとうしてしまった、三谷幸喜デビュー。しかもなぜか歌舞伎で。

 今回のチケットは12000円。高!でもその高さの理由は劇場に入ってすぐ分かる。
舞台上には回り舞台があるだけで、書割もセットもなにもない。そしてその後ろに
は居並ぶ下楽の皆様。まあ、理屈はミュージカルと同じということ(なのかな?)。
 舞台が始まると、彼らが奏でるのは、リズミカルかつ威勢の良い「決闘!高田馬
場のテーマ」と思しき曲。通常の歌舞伎での浄瑠璃と、テンポも言葉も違うので、
謡の方々も謡い辛そうである。何てったって「パ・パ・パ・パルコ歌舞伎!」だから。
 
 その曲が終わると、一転、回り舞台が動き出し、舞台の上に現れるのは江戸の下町。
 歌舞伎座で観られる歌舞伎と、今回の歌舞伎の大きな違いは、回り舞台を使った舞台セットの転換だ。
  歌舞伎座の舞台と比べ、パルコ劇場の舞台は小さい。その小ささを回り舞台を駆使してセットをコンパクトかつ立体的に動かすことで、展開をスピーディにし、また見せ方に多彩なバリエーションを生み出していた。言ってみれば歌舞伎座での古典的な舞台の見せ方が2Dならば、今回の「決闘!高田馬場」は3Dだ。

 物語は忠臣蔵の登場人物の一人、堀部安兵衛の若き日の武勇伝だそう。安兵衛の父親
がお家騒動に巻き込まれ、家が取り潰しにあい、浪人生活を強いられて、「喧嘩安兵衛
」と名乗って喧嘩の仲裁で日銭を稼ぎ、飲んだくれていたが、自分の叔父が明らかに罠
がしかけてあるだろう決闘に向かうということで、助太刀に走る、というもの。
 

 基本的にいわゆる普通の歌舞伎では睡魔に襲われる私。何といっても初歌舞伎体験は
「野田版研辰の討たれ」なわけで、伝統芸能としての歌舞伎に対しては、こころから「すば
らしい!」と言う人間ではない。だから今回の作品に関しても、歌舞伎という視点から見てどうか、ということについてはよく分からないが、見せ場も多く、そして自分の作品のパクリもさりげなくいれつつ、三谷幸喜的サービス精神満点な舞台であったと思う。

 ただ、惜しむらくは、チケット代の高さゆえか、大向こうの掛け声がなかったこと。
観客としても、どこか物足りなかったし、演じている方も見得をきった瞬間に客席が静
かだとやりづらいのではないかあと思った。
今後はコクーン歌舞伎みたいに「舞台半分しか見えないけどその分うんと安い立見席」
みたいのを用意すると良いのではないかと思う。(パルコ劇場にはそんなスペースはな
さそうだが)こんなことを思うあたり、歌舞伎って参加型演劇なんですね、なんて。

あと、普通の歌舞伎ってはじめに一本劇があって、その後舞があって、また長い劇が一本
、みたいに何本か出し物がセットになっているのに、パルコ歌舞伎はこれ1つだけ、とぃうの
もちょっと寂しい気がする。そう思うと歌舞伎って本当にサービス精神が旺盛というか、娯楽
なんですね。
by turujun | 2006-03-05 15:00 | 演劇