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舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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Shelf「私たち死んだものが目覚めたら」@アトリエ春風舎

名前は聞いたことがあったけど、いろいろあって観る機会がなかった(うち一度は予約していたのに…行けなかった)Shelf。今回、ようやくの初観劇。

なんとも不思議なタイトルは、英語のタイトル「When we dead awaken」の直訳のよう。この作品は、イプセン最後の戯曲とのこと。


アトリエ春風舎は非常に小さい空間。その床に白い布が置かれ、そこが舞台となる。そこにはベンチが一つあるのみで、主人公である彫刻家はいつもそこにいる。それ以外の役者は、出番になると白い布のあるところへ移動する…というシンプルな舞台セットの中で作品は進んでいく。そこには、戯曲と真正面から向かい合い、新しい表現、新しい試みをもって舞台化しようという創り手の意思が感じられる舞台が立ち上がっていた。

その余計な装飾がそぎ落とされた空間で、物語が進むごとに退廃の香りと緊張感が高まっていくのがひしひしと伝わってきた。その中心となったのは、主人公である彫刻家と、その彫刻家が名声を得た作品を作った際にともに作品を創ったといってもよいほどだったモデルの女性との会話、というよりも台詞の応酬といった方がよいかもしれないほどに迫力があった。過剰な演出は排除されており、また体よりも役者が発する語りの力に重きをおいてやりとりのひとつ一つが創られていたように思った。でも、あまりにこの二人の関係が緊密に描かれているがために、マイヤと地主、イレーネと尼僧看護人といったその他の人たちの関係が弱く感じられた。
また、あまりに戯曲の中のメインの関係にのみ重きが置かれた結果、この作品と「いま」とのつながりがあまり感じられない結果に終わってしまっていた。こんなことを書くのは、当日パンフに、演出の矢野氏のあいさつ文に「この戯曲は現代を生きる私たちにも十分に通じるものを描いている」ようなことがあったからだ。矢野氏にとって、イプセンの戯曲にあるテーマのどの部分を現代の「私たち」に結びつけようとしていたのか、それがもう少し明確に描かれていたのならば、この作品をもっと切実に受け止められたのかもしれない(※)。


その他で気になったのは、何と言っても地主&語り手役を演じていた山田宏平。以前何かの作品に出ていて、そのときに声があまりに鋭いのに衝撃を受けたのだが、今回も劇場のサイズにあまりあるほどの声量そして声質をいかんなく発揮していた。発揮しすぎて無駄に大きく鋭い感は否めないのだ。その無駄さ加減が不快を通り越してお茶目に見えてくるあたりが、彼が在籍している山の手事情社のOB・清水宏を彷彿とさせる(なお、私は清水宏さんは数回しか観たことがありません)。


(※)だからといって、あからさまにそれと分かるようにやられたら、それはもっと面白くない。



個人的に気になったことといえば…この作品の舞台はおそらく北欧のどこかの湯治場なのだが、マイヤ役の見た目が、それっぽくないところが非常に違和感があった。特に髪型がいかにも「いまどきのOLもしくはきれいなお姉さん」に見えて仕方がなかった。他の役者の衣装はきちんとそれらしかっただけに、よけいにそう感じてしまうのかもしれない。
役の設定としてマイヤは他の登場人物よりかなり若いという設定だからこそかもしれないし、あまりに時代考証に縛られたものにすると、いかにも作り物っぽくなってしまうかもしれない、とは思いもするのだが。
by turujun | 2009-10-11 23:16 | 演劇