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舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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安藤洋子&ウィリアム フォーサイス@世田谷パブリックシアター2月26日(木)

これについては、はじめのうち、全くノーマークだった。野田秀樹がアフタートークにでると知り、それならば、と前売りチケットを購入してしまったに過ぎなかったのだが、知らないということはやはりさまざまな意味で怖いということが良く分かった。
 今回3つの作品を上演したのだが、その全てがとてもシンプルな舞台装置で、照明もさほど凝っておらず、音楽もいたって静かなものばかり(2番目の「N.N.N.N」に至っては無音!)と舞台上はストイックであるにもかかわらず、というより、だからこそ、これらの作品の豊かさとダンスの可能性に衝撃を受けたのだ。以下、個別の作品に対する感想。
 安藤洋子ソロの予定だった作品は、「情熱大陸」でもやっていたとおり、他に2人のダンサーの登場する「WEAR」という作品になっていた。野田秀樹のアフタートーク目当てで来た人も少なくないだろうから、「WEAR」=「キル」?と思ったのは、私だけではあるまい。私はこの作品を観ている間、安藤洋子が外部からきた者で、男性2人が現地の人で…という「赤鬼」のようなストーリーを持った作品なのだろうか、と思って観ていたが、いくらなんでも、野田秀樹につなげようとするのはいかがなものか、私。実際にはロバート スコット南極探検隊の南極点到達と、アムンゼンに先を越されていたという悲劇的エピソードをモチーフにしているということだった。言われてみれば、モスグリーンの防寒着といい、ロシア人の帽子のようなかぶり物も納得がいくような気もする。足の動きが面白い振り付けだったことが印象に残っているものの、ちょっと後の2つに比べて直感的に分かる部分の無い作品であった。
 2番手の「N.N.N.N」は、シンプルきわまりない、ダンサーの動きだけで構成された作品。オープニングで、ダンサーが自分の片方の手首をもう片方の手で打ち上げ続け、その後4人のダンサーが出たり入ったりしながら、さながら知恵の輪のようなダンス。それはマクロ的・ミクロ的にからだを観察し、分析しぬいて、考え抜いた末生まれたかのようだが、だからといって、マニアックな方向に行かず、むしろ洗練された動きで笑えるダンスとなっているのが驚き。
 最後の「quintett」。大砲のような形をした物体(実際はプロジェクターかなにかのようだ)が上手側に、下手奥の床に長方形の穴があり、そこに人がいる。舞台の上にもちらほらと人がいる状態から始まった。この作品にも安藤さんは出演していたのだが、舞台上で、他のダンサーと一緒に踊る場面が最初の作品より多いので、安藤さんの体とその身体によるちょっと泥臭い感じのする踊りの違いが際立つ。それでいて、バレエを基礎としている他のダンサーの持つ洗練された美しさとの違和感が不快なものにならず、むしろその違和感がアクセントとなって、作品をただキレイなだけに留まらないものにしていたと思う。その異質なものを足し合わせて何倍もの「美しさ」にできるのは、やはりフォーサイスならでは、なのだろう。

 今回の3作品ともに共通しているのが、舞台上の色彩がブルーを基調としたシンプルな空間であることと、それゆえに「からだ」によって創られるものが何より重要であるということ。3作品とも、ダンサーとその踊りがなければ、何一つ成立しないし、極端な話、音楽や映像は無くても十分成立し得る。たとえば「quintett」の終盤で唐突に背面の壁に映像が投影されたが、それがあるからといって格別な効果があったわけではなかった。それぐらいダンスで十分すぎるぐらい舞台空間が埋め尽くされていたのである。
 美しいとされているものを創るではなく、創りあげたものが「美しい」と認められる説得力を持つ作品を創るのが創り手の役割なのだな、と思い、また、フォーサイスはそれが出来る振付家であり、フランクフルトバレエ団はそれを現実化できる集団なのだな、と実感した。
 今まで演劇やダンスにおける身体の考え方というのが今ひとつ理解できなかったのが、今回のこれらの作品をみて氷解する思いをした。ダンスにおける身体とは、それがなければ成立しない、ということを「観る」ことで体感した。 
 ところでアフタートークだが、思った以上に野田さんが言葉少なだったので、かなり物足りないと思ったが、野田さんは演劇人ではあるが、ダンス批評の人ではないので、ダンスに対してコメントを寄せるのは勝手が違うのかもしれない。その中で印象に残ったのが、「東洋の人は西洋の存在を無視することができないが、西洋は東洋のことを考えることがないのではないか」というような質問を野田さんがフォーサイスにし、それに対して、フォーサイスは「東だ西だと区別をつけるのはどうか」と答えていたこと。そのときは正直問いに対する答えになってないな、と思ったのだが、もしそういったことを意識しているというのであれば、フランクフルトバレエ団における安藤さんの起用の仕方はおのずと今とは違う形になるだろうし、そもそもフォーサイスは安藤さんを入団させないのではないか、だからあの答えだったのかもしれない、と腑に落ちたわけだ。


それにしても腑に落ちないのは、Excite blogのトラックバックのカテゴリに「舞台芸術」とか「演劇」とか「ダンス」がないこと。意外にこのカテゴリは需要があると思うのだが、どうか?
by turujun | 2004-03-02 14:10