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舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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記憶、あるいは辺境(風琴工房)@下北沢 ザ・スズナリ

ひさびさに観劇。風琴工房は初見。私はここの主宰の詩森ろばさんの日記の愛読者なので、これまでも観よう観ようと思っていたのだが、他の芝居と重なっていることが多かったり、財布の中身が寂しかったりと、機会を逃しつづけていた。だが、ここのところの名状しがたい物思いの日々が、ようやく私を風琴工房へと突き動かし、初の風琴工房観劇とあいなった。
 で、どうだったか、というと、「言わんとすることは分からないでもないのだが、それは作品自体からは伝わってこないのよね…」。何だかあまり舞台の世界に引き込まれない、そして演劇という表現への思い入れも分かるのだが、思い入れほどには作品は完成していないと思った。でも、太平洋戦争時の樺太を舞台にしていても、単に声高に反戦を謳う作品ではなく、あくま戦争と戦時下の日本と朝鮮を背景としつつ、その中で生きる人間のドラマを描いた作品だった、ということは分かる。描かんとしたものは分かった。でもそれが舞台として成立していたかというと、私の観た回に関しては、ちょっと「?」だ。
 友人が、この劇団について「ダメを10個箇条書きにできる劇団」といっていたが、「だめだめな劇団」という意味ではなく、「アラが目立つ劇団」という意味で、同感。一つ一つのシーンはもうこれ以上はできません!ていうぐらい丁寧に作ってあるのだが(それも「きちんとつくりました!」と聞こえてきそうなぐらい、がっちがちに作ってあるのが見て取れる)、それゆえ全体の流れとしてつないだ時に、シーンとシーンの合間の埋めようのない間が際立つようなところとか、全てのシーンがきっちりと流れていかないとか、そういったところ。特に随所に見られるそれぞれのキャラクターの身体的欠陥や民族的な差別意識などから来る「どうしようもない」ものに対する憤りや諦念といった、日頃人々が隠しているものが表出してくるようなセリフは、もっと違う言い方があるのではないか。というぐらい、戯曲は知られていない戦時中から戦後の史実(不勉強なもので…)をよく取材して書いていると思うのだが、その戯曲を演出でしっかり演劇として立ち上げられていないように思えたところがもうもどかしくて。そしてそのせいなのか、隠された戦中戦後史の混乱の中に生きる無名の人々の苛烈なドラマを描こうとしているのか、メロドラマを描こうとしているのか、はっきりしない印象をもった。表現したいことがいろいろあって、それを全部詰め込もうとして、あんまりおいしくなくなった、みたいに見えて、私は何だか釈然としない思いでスズナリを立ち去っていた。
 詩森ろばさんの日記を読むと、どうやらマチネは調子が悪い傾向らしい。私の観たのは土曜のマチネ。そういうことも関係しているのかもしれない。ならばマチネはその分チケット代若干安くするというのはどうかしら。保険がわりに。ダメか。

 あと、これは分かる人には分かることなのかもしれないが、韓国語の部分の会話はあれでよいのだろうか?役者は日本人なのでいたしかたないのかもしれないが…棒読みなのでは?ちょっと気になった。
by turujun | 2004-05-26 23:28 | 演劇