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舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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5日でつくる

先週「宇宙猿」が面白かったので、西田シャトナーつながりの「辻つま山脈」を観に行った。これは、西田シャトナーが関東圏の小劇場系の中でも若手(でない人も若干名)の役者とともに行なう実験的演劇。役者にはあらかじめプロットは与えられているが、台詞はないので役者自ら作り出さなければいけないという、役者にとってはかなり辛そうなもの。
この作品の中心を担うのは、西田シャトナー演じる別れた妻を探す男「ピーチ兄さん」。インターネットの人探しサイトで知り合った人「ててててて」さんと落ち合うためにとある山に来るが、その相手がなかなか見つからない。その人を待つうちにさまざまな人に会い、さまざまなものを失う。そのたびに彼らのいる山は変わっていき、それは最後になぜか一つの山脈になり、実は妻なんていなかった、と「ピーチ兄さん」の口から出て、終わる。というのがその粗筋。
この試みでいちばん大変なのは、台詞を作ることではなく、与えられた設定の中でそれぞれの作った世界を相手にわかってもらい、摺り合わせ、行き着くべきところにうまくもっていく、ということではないだろう。プロットといくつかのポイントは共有していても、そこからどんなストーリーを相手が描いているかは少し話すだけでは見当がつかない。自分が発した言葉に対する返事が自分の予想外ということもあるだろう。また、ひとつの到着点に向けての役者同士の摺り合わせは、観客のいる舞台なので、観客に説明ではなく、あくまで作品中の対話を通じて、そのプロットやポイントを伝えるものでなくてはならない。だから「辻つま山脈」では、すべての役者は演技する者でもあるし、創作する者でもあるし、演出する者といえる。そしてそれゆえに物語はディレクションがないも同然の状態のまま進み、支離滅裂になりそのまま終わりを迎えたのだが。
開演前、西田シャトナーからあいさつがあり、宇宙というのは辻褄があっていないがそういうものなのかも、という話があったが、そういうものを創ろうといいうことなら、今回のはそれそのものだった。でもこの試みの面白さというのは、苦しみながら目指すところへの糸口を探す役者の姿だったりするので、これ自体が作品というより、ワークインプログレスのように思える。というわけで、次は7月だ。
by turujun | 2005-05-16 12:36 | 演劇