舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

<   2010年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

はじめて観たboku-makuhari。名前は以前から知っていたものの、ここのところ公演を行っていなかったのだ。

今年のはじめごろから、チラシが入り始めて、活動を再開することが分かり、観にいってみた次第。
公演は、夜公演のみ。日曜日なのにまさかの19時30分始まりである。海外のカンパニーみたいなことになっている。

さて、作品はというと、2部構成となっており、前半がタイトルにもなっている「スリープ・インサイダー」。登場するのは男性一人と女性一人。
理由も分からないまま、時間の経過がまったく分からないような構造の部屋に監禁された男女が、いつの間にか言葉攻めをしあうという内容だったように記憶している。
舞台が始まると、いきなり女性の叫び声から始まるので、場内の空気は相当に剣呑で、テンションが高い。そのテンションの高さは理由も分からず見知らぬ空間に閉じ込められた恐怖によるものなのだが、それがだんだんと男性と会話をするうちに、男性を何故か追い込んでいくうちに起きる精神の昂ぶりに変わっていく。
このやりとりが、冷静に考えると「何で初対面の人間にここまでやれるのか?」というほどに強烈なものなのだが、作品の流れの中にあると、意外なぐらいに自然にここに至る。言葉づかいも決して自然(現代口語的)であるとは言えないのに、そこに演劇的なものへの違和感はなかった。

この劇団の主宰であり作・演出の岩崎裕司はいわばゼロ年代(これ使うのは結構抵抗がありつつ、ぴたりと来る表現が思いつかないので、こうします)の演劇人なのだが、同時期の劇作家とは少々作品の傾向が違うようだ。より人間の内面的な暗さに強い関心があるように思われる。

なお、後半の作品は、どこかの山小屋のような場所での一組の男女の話。こちらは前半の二人も何気なく話しに入ってくるが、これが前半と同一人物なのかそうでないのかは明言されていない(多分違うと思われる)が、この二人が後半の物語にも入り込むことで、この前半と後半あわせて「スリープ・インサイダー」という一つの作品であることが示されていたのだろう、と思っている。

この作品は、一体何が言いたいのか?という部分については明快な提示がされることはない。そういうのも最近はあまりないな…という意味で、少々懐かしい感じがした。

More
[PR]
by turujun | 2010-03-28 19:30 | 演劇
最近、駅から少し距離がある劇場に行くとなると、たいてい時間ギリギリになる。今回も桜木町から歩いて行ったのだが、場所を勘違いしていたため、開演ギリギリの劇場到着となった。
さて、今回の会場、Bankart NYKホールは、もとは日本郵船の倉庫を借りたものらしい。なのでホールの真ん中には太い柱がどーん!と立っている。要はここで作品を上演するとなると、この柱の存在は避けて通れないのだが、今回、COLLOLは、座席と上演スペースをはっきりと切り離さず、劇団スタッフが観客に「お好きなところでご覧ください」と案内する、という形を取った。たいていの人は壁沿いのよろしいと思われる場所に座るなり立つなりして自分の場所をキープするのだが、中には柱の前に場所をとる強者もいた。
(なお、この柱の前で観劇した方は、役者に上演中に「正直ウザいんですよねー(笑)」といじられていた)

この作品は、HPによると旧約聖書の「ヨブ記」をもとにしたものなのだそう。私はこのあたりまったく疎いので、原典を参照してそれに対してこれはどう、とか言えない。ただこれははっきりと言える、男女の関係≒恋愛のさまざまなありようを複数の男女の役者がダンスと詩的な台詞で幻想的に演じているというあたりに、この作品は女性の世界観を体現したものなのだな…ということがすごく感じられた。

ファンタジックな美しさを目指したものなのかな…と思われるのだが、それがあまりに絵空事的すぎていて、かつその美しさは既視感を覚えるものであったがために、作品世界に入りこむこともできなければ、その内容に響くところもなかった。

この感想を書くにあたり、ヨブ記についてググってみたところ、ヨブ記の内容と本作品の接点も良く分からなくなってきた。ヨブ記は原作なのではなく、創り手がつくりたい世界観への媒介にすぎないのでは…とも思えてきた。
[PR]
by turujun | 2010-03-27 17:00 | 演劇
3月3連休の最後に観たのは、井手茂大のソロ公演。

観終わって「面白かった!」とためらいなく言える作品だった。

ダンスで面白い、というと大抵「クスっ」と笑えるぐらいの、もやもやしたレベルのものだが、この作品は、もう笑うときはどっと笑いが起きる。そこらそんじょのお笑い芸人では太刀打ちできない相当のコメディアンぶりなのだ。
それでいて、ダンスには、メタボ体形を存分にいかしつつもキレがある。

己を知る創り手が、己を最大限に活かして作るとこんなにも面白くなるのか!というほど「面白い」ダンス作品だった。
[PR]
by turujun | 2010-03-22 14:00 | ダンス
今年、岸田國士戯曲賞を受賞した柴幸夫の劇団「ままごと」の公演。前回の「わが星」は見事にすっ飛ばしてしまったので、こちらはちゃんと観ておこうと思い、はやめに予約して観に行った。
少々遅れて到着したら、場内はもうほぼ満席。なのに適当な席を見つけて座ったとたんに腹具合が悪くなるという最悪の事態。スタッフの人にその旨を伝えたら、出口近くに席を設けてくれた。心遣いに感謝。その節はありがとうございました。

さて、感想は後日。
[PR]
by turujun | 2010-03-20 19:30 | 演劇
この日、世間はホワイトデーだったが、私はレッドシアターで赤い薬w。
今回も、かなり毒の効いた、それでいて笑わせる内容だった。
長年一緒にやっている役者同士ということもあるので、チームワークの良さは感じるし、ずっと観続けていることによる「お約束」的なキャラクターの特徴が見えてくるあたりのサービス精神も楽しいのだが、年々毒が弱く、軽くなっている印象がある。それが物足りないし、寂しい。
[PR]
by turujun | 2010-03-14 14:00 | 演劇
11時から受付が始まり、18時ごろ全てが終わるという長時間拘束型公演かと思いきや、作品展示や短いパフォーマンスをお散歩しながら見て回る…というゆるゆるな公演だった。
なぜか公演の一環としてパラダイス・アレイというパン屋のリュスティックを受け取るというプロセスがあるのだが、このパンが非常に美味しかった。食べると粉の香りと酵母の香り(なんですかね?)が口の中に広がって、何もつけなくてもいけてしまう。滋味あふれるパンなんである。パンと一緒にいただいたワインともあって、まさに至福。この公演における最大の幸福(つまり、口福)といって良いと思う。このパンを買いに、鎌倉へ行っても良い、とまではいかないけど、鎌倉に行ったら、このパンを是非とも買おうとは思う。

メインのダンス公演は、横浜国立大学附属小学校体育館で行われた。何と、このダンス公演のみだと無料、ということを当日、現地に着いてから知った。何だよー。というのも、「鎌倉なんとかナーレ」というイベントの一環として、上演されたものだったからなのだ。知っていたらこれだけ来たよ、と言ってしまいたいのは山々なのだが、いい年なのでやめておく(書いてるけど)。

さて、この公演は上記のとおり長時間にわたるものなのだが、これは、受付があるkaya galleryでの展示と、ダンス公演にも出演したダンサーと酵母と果物によるミニパフォーマンスで幕を開ける。
kaya galleryは千駄木のブリックワンをさらに小さくしたような、相当に小さいスペースなのだが、室内に受付を設けていたので、さらに狭い。そこに10名前後の人が入って、奥に残されたごく小さなスペースで、ダンスが行われた。そのダンスは、作品の中のムーブメントの抜粋のようであるようで、即興でもあるような感じ。途中で顔の形をしたパンをかじったりする。観客(私)の前ギリギリまで迫ってくるような大胆な場所使いで、少々スリリング(向こうもだろう…)な体験だった。体の動きにためらいがないのが、すがすがしかった。

さて、kaya galleryを後にし、次に向かったのがパラダイスアレイ。ここでリュスティックをゲットし、そのまま次の会場である墨田邸へ。墨田邸とは何かというと、有名な建築家が設計したとか、鎌倉有数の洋館とかそういうものではなく、年代物の民家。二棟が渡り廊下で繋がっている相当ふるい木造の家だ。鎌倉の若宮通りを一本は行った道をさらに脇に入っていくとあるような非常に分かりづらい場所にある。
ここが、この作品とどんな縁があるのか結局分からなかったが、ここでは本公演に出演している女性ダンサーがルーマニアでの公演時に撮影した「普通の人々・普通の生活」の姿をスライド上映していた。
ここでパンをかじりつつ、スライドを楽しんだ後、ワインをいただく。いや、ワインが欲しかったのではなく、チケットに込みのはずのお茶が切れていたので、勧められるがままに飲んだのだ。これはおいしかったのだが、ワイン飲みつつ、パンの残りを食べて20分ぐらいいたかと思うのだが、結局お茶は出てこなかった。
ここでは、お茶一杯入れるのにそんなに時間がかかるのか?とかその割に来場者とずいぶん語らっているじゃないの(友達っぽい)?とかいろいろカチンと来ることが多かった。この公演は、こじんまりとした規模で、ゆるい感じがあって、それが魅力といって良いのだが、そういうゆるく繋がった中へ私のようなよそ者が行くと結疎外感を感じる。自分の意思で行っておいてなんだが、「茶が出てこない…」というところで余計にそう思ったのだ。

釈然としない思いと軽い酔いを覚ますべく、ふらふらと鎌倉の町を歩きながら、次の会場である横浜国立大学附属小学校へ。ここでもちょっとびっくり体験。
墨田邸で見かけたスタッフに会場となる「体育館」の場所を聞いたところ、「えーっと…」。会場が分からなかったらしい。スタッフだったらとりあえず全会場の場所ぐらい共有しておこうよ!と言いたくもなったが、ここで切れると自分が嫌な気持ちになるので、心の中で「orz…」となっておいた。

さて、ダンス公演はどうだったか?というと実はダンスの存在感はあまりなかった、というのが正直なところ。作品の中にちりばめられた、原作である高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」および高橋源一郎のインタビューの言葉と、この作品ができるまでに交わされたさまざまな言葉の方が印象的だった。とりとめがないようでいて、非常に詩的な響きをもって迫ってくるのだ。
それぞれの要素の存在感は非常に微弱なのに、なぜか全体としては強靭であったことがいまだに思い出される。

最後は、西御門サローネという洋館でのポスト・パフォーマンストーク。スペシャルゲストとして鶴田真由が登場したのが驚きだった。
[PR]
by turujun | 2010-03-13 11:00 | ダンス
20時、という土曜とはいえアダルトすぎる時間帯にスタートするのにおののいたが、結果的に雨がやんで会場に行きやすくなったので良しとしよう。

この作品は、矢内原美邦名義で行われたダンス公演。ニブロールというとやたらと「スタイリッシュ感」を前面に打ち出している印象があり、面白いけどちょっと嫌味に思っていた自分がいたのだが、今回の作品はその「スタイリッシュ」さがまったくなく、むしろ矢内原美邦の個人的な思いや記憶が随所に残像として残るような、生々しい作品だった。
[PR]
by turujun | 2010-03-06 20:00 | ダンス
名前は聞いたことはあれど、実態がまったく分からなかった京都の劇団、男肉 du soleil がアゴラ冬のサミットに参加することを知ったのは昨年のこと。絶対観る気でいたのに、日程を見たら土日が入っていない…しかし幸いなことに平日休ゲットにまんまと成功し、ひな祭りであったこの日に観にいったのであった。

一言で言うと、確信犯的な学生ノリ。しかも無駄に熱い。これを観ると、テクニック云々以前にコンドルズが非常に洗練されたプレゼンテーションをしていることが分かる(活動歴が違う!といわれればそれまでだが)。

とりあえず、下手したら京都のローカル劇団で終わってしまっていたかもしれないこの団体(失礼!)を、違うエリアの人に見せたところにアゴラのサミットの存在意義を強く感じた公演だった。

もしかしたらいろいろ思い出してもっと書くかもしれない。
[PR]
by turujun | 2010-03-03 14:00 | 演劇