舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2009年 10月 ( 9 )   > この月の画像一覧

ひさびさに感想が書ける本(≒小説)を読んだので、記録しておく。
内容はいわゆるハードボイルドでありミステリー。
北米のある地方で大規模な農場を経営する一家をめぐる殺人事件の謎解きであるとともに、崩壊寸前の家族の物語であり、友情物語であり、ラブストーリーでさえある。要は主人公の男性にまつわるさまざまな要素が複雑に入り混じり展開されているというもの。
最後まで謎が謎を呼んで、真犯人が分かると、「そう来たか!」と思わせられる。伏線が絶妙に張り巡らされていて、読み終えるとすごく腑に落ちる。しかも謎ときだけではなく、その背景にある人間関係がまた深くて面白い。

それでいて、真犯人が仕掛けるさまざまな仕掛けに見事に引っかかっておきながら、すべての謎が解明されると「稚拙な…」とかのたまってしまう主人公、とか突っ込みどころが意外に多いのも、別の意味で楽しい(本来の楽しみ方ではないと知りつつ…)。

なお、作者の名前で検索すると、この小説のタイトルとともに結構ヒットするところを見ると、メジャーな小説みたいですね。
[PR]
by turujun | 2009-10-28 23:59 | 書物
維新派を観るのはこれが2度目。でも維新派公演の名物ともいうべき屋台村ははじめて。でも会場到着が開演直前&傘を持っていなかったこともあり、屋台村を楽しめず。残念!

さて、会場内に入ると、座席に向かう途中に魚の標本が置いてあり(本物!?)、何かと思って舞台上を見ると、そこにもたくさんの骨・骨・骨。
舞台が始まると、役者が正方形のガラス張りの箱の中にさまざまな標本を吊ったものを手に舞台に登場し、それを積み上げてセットにしていく。中には標本だけではなく、薬缶やヘルメットなど「物」も少なくない。

そうしたものたちの間で、役者がリズムを刻むような伴奏に乗せて、台詞をいう。関西弁の響きを持つ台詞と役者の白塗りの顔、色彩をセピア系の色合いに抑えた衣装等があいまって、舞台に広がる世界はどこか懐かしく、それでいてどことは特定できないような幻想的なものになっていく。
のだが、その一方で、場面転換をしても、舞台で繰り広げられるものが、今回は割と単調に思えてしまい、以前新国立劇場で観たときよりもあっさりとした印象が強かった。そして何よりも気になったのは、幻想的な世界観を提示しつつも、最後の最後で妙にリアルな響き、具体的な言葉が入り込んでくることがものすごく違和感があった。

舞台上が幻想的なしつらえでありつつも、どこかルーティンぽさを感じさせたこと、そして現実へと引き戻す言葉の存在ゆえに、丁寧に作られているはずの舞台がかなりもったいない出来栄えに、私には映った。
(あくまで個人の感想です)
[PR]
by turujun | 2009-10-24 18:00 | 演劇
今日は、生まれてはじめて朝9時から観劇した。
演目はタイトルにあるとおり、岡崎藝術座の「朝焼けサンセット」。本公演の「ヘアカットさん」のキャスト+アルファで送る朝ごはん付公演だ。「朝ごはん付」に惹かれて、休みなのに、体を引きずるようにして起き、観てきた次第。
開演直前に会場である駒場アゴラ劇場に着くと、場内はほぼ満席。自分を含め、好奇心旺盛なのか、物好きなのか…朝9時にアゴラって休みの日だと体にこたえますわ。

内容は、というと役者の一人が寝坊をしたらしくまだ劇場についておらず…というところから始まり、その人が行方不明になってしまう。それを「劇場内のみんなで」探しに行く…というもの。そして最後は役者が見つかり、皆で寸劇「サンライズ・サンセット」を上演して終わるというもの。おそらく設定としては劇場の中でこれをやる予定だったけど、人探しで移動してきたので劇場の外でやっているということだったと思う。

これって都会だから「演劇」もしくは何かのパフォーマンスで済むけど、そうでない地域でやったら、事前説明がなければ警察呼ばれちゃわない!?というぐらい不思議な集団だったのではないだろうか?

で、この作品(小品?)を観て思ったのは、岡崎藝術座における音楽ってものすごく重要なファクターなのではないかということ。もう出てくる誰もが「歌わずにはいられない」ぐらいの勢いで、皆歌う。音楽が添え物というか装置の一つではなく、音楽なくして成り立たないぐらいの位置づけに思われる。

イベント的なノリだからかもしれないけど、「楽しかった」よ。

More
[PR]
by turujun | 2009-10-24 09:00 | 演劇
とりあえず言えるのは、「セット券買ってます」。







さて、2回目の観劇となる岡崎藝術座。今回は「ヘアカットさん」というタイトルなので、美容院もしくは床屋の話なのかと思いきや、多少はあるけど、大半は違う。
そしてこの劇団は終始音楽が流れているし、役者は良く歌を歌うし、よく踊る。でもミュージカル劇団ではない。というのは、歌うことそのものは、ミュージカルにておいてそうであるような作品の中で台詞として機能するものではなく、ダンスもコンテンポラリーダンスのムーブメントに近い動きだったり、手話を一つのムーブメントとして採用していたりして、その位置づけがミュージカルにおけるダンスのそれとは違うように思う。見た目だけでいうとチェルフィッチュを思い出したりするのだけど、この劇団における体の動き(≒ダンス)の位置づけはどのようになっているのだろう?すごく気になる。

ところで、、この作品の内容という点においては若者の生活とか恋愛とかを描いているようでいて、実はえらく荒唐無稽なところがあったりもして、いわば日常を描いているようで実はファンタジーみたいな作品なのである。
日常を描いているけどファンタジー(or非日常)といえば、前田司郎(五反田団)の得意とするところだが、岡崎藝術座は、それとはまたちょっと違う方向性であるように思う。前田司郎の場合は、その作品の世界そのものが日常でありながらも非日常へとシームレスに続いているようであるのに対し、岡崎藝術座の場合は、日常の中に非日常が唐突に差し込まれていくという、不条理にもほどがあるのだ。それでいて結末は意外にも、それまでの不条理はさておき、実にあっさりとしたものだったりする(これまた不条理!)。

なんともまとまりのない感想で恐縮なのだが、いちおうまとめるとすると、彼らは、上に名前を挙げたような、2000年代に入って駒場アゴラ周辺で活躍した劇団の方向性をかなり踏襲しつつ、そこから「現代口語演劇」を取り去って別の要素(それが音楽か?)を充てこんでいるといえるのではないだろうか。

More
[PR]
by turujun | 2009-10-18 14:00 | 演劇
めったに使うことのない東武線に乗って、東向島に行ってきましたよ。
目的は神村恵の新作公演。東向島がはじめてなら、現代美術製作所もはじめてだったので、少々迷子になってしまった…。

会場の現代美術製作所は、下町の工場といった風情の建物で「美」の看板が目印。中もシンプルな空間で、観客席は丸椅子か座布団といったところ。段差もないので丸椅子でちゃんと観られるか?と思ったが心配はいらなかったよう。

今回の作品の最大のポイントは、何と言っても「出演:岸井大輔」。丸椅子席の最前列に陣取っていた彼は、あるとき、パフォーマンスの場と客席を隔てているであろうコードをビニールテープで貼ってあるラインを椅子ごとズズッと引きずり越えていくと、少しずつ前へ前へと進んで行き、ふと立ち上がって、観客の方へ向き、「私は劇作家の…(というような感じ)」で語り始めて、「あ、この人が!」とわかる演出がなされていたのだ。いきなり、客席にいた人が、ダンサーのいる方へ向かっていくので、何事か!と結構本気で驚いたのは私である。
ただし、岸井大輔氏本人がどんな人であるかわかってさえいれば、この登場の仕方は、「ちょっと変わった演出」ぐらいだったかもしれない。その点、私は創り手の意図するままに驚かされたといってよいのではないだろうか?
[PR]
by turujun | 2009-10-17 23:51 | ダンス
名前は聞いたことがあったけど、いろいろあって観る機会がなかった(うち一度は予約していたのに…行けなかった)Shelf。今回、ようやくの初観劇。

なんとも不思議なタイトルは、英語のタイトル「When we dead awaken」の直訳のよう。この作品は、イプセン最後の戯曲とのこと。


アトリエ春風舎は非常に小さい空間。その床に白い布が置かれ、そこが舞台となる。そこにはベンチが一つあるのみで、主人公である彫刻家はいつもそこにいる。それ以外の役者は、出番になると白い布のあるところへ移動する…というシンプルな舞台セットの中で作品は進んでいく。そこには、戯曲と真正面から向かい合い、新しい表現、新しい試みをもって舞台化しようという創り手の意思が感じられる舞台が立ち上がっていた。

その余計な装飾がそぎ落とされた空間で、物語が進むごとに退廃の香りと緊張感が高まっていくのがひしひしと伝わってきた。その中心となったのは、主人公である彫刻家と、その彫刻家が名声を得た作品を作った際にともに作品を創ったといってもよいほどだったモデルの女性との会話、というよりも台詞の応酬といった方がよいかもしれないほどに迫力があった。過剰な演出は排除されており、また体よりも役者が発する語りの力に重きをおいてやりとりのひとつ一つが創られていたように思った。でも、あまりにこの二人の関係が緊密に描かれているがために、マイヤと地主、イレーネと尼僧看護人といったその他の人たちの関係が弱く感じられた。
また、あまりに戯曲の中のメインの関係にのみ重きが置かれた結果、この作品と「いま」とのつながりがあまり感じられない結果に終わってしまっていた。こんなことを書くのは、当日パンフに、演出の矢野氏のあいさつ文に「この戯曲は現代を生きる私たちにも十分に通じるものを描いている」ようなことがあったからだ。矢野氏にとって、イプセンの戯曲にあるテーマのどの部分を現代の「私たち」に結びつけようとしていたのか、それがもう少し明確に描かれていたのならば、この作品をもっと切実に受け止められたのかもしれない(※)。


その他で気になったのは、何と言っても地主&語り手役を演じていた山田宏平。以前何かの作品に出ていて、そのときに声があまりに鋭いのに衝撃を受けたのだが、今回も劇場のサイズにあまりあるほどの声量そして声質をいかんなく発揮していた。発揮しすぎて無駄に大きく鋭い感は否めないのだ。その無駄さ加減が不快を通り越してお茶目に見えてくるあたりが、彼が在籍している山の手事情社のOB・清水宏を彷彿とさせる(なお、私は清水宏さんは数回しか観たことがありません)。


(※)だからといって、あからさまにそれと分かるようにやられたら、それはもっと面白くない。

More気になったこと。
[PR]
by turujun | 2009-10-11 23:16 | 演劇
某雑誌でこの映画を非常に評価していたので、見てみたいと思っていたら、いつのまにか終わっていた。
しかし、10月あたまから開催中の「難民映画祭」でこの映画が上映されるというので、行ってみた。

実は昨年もこの映画祭には足を運んでおり、そのときは結構早い時間に長蛇の列ができていたので、「はやめに現地に着いたほうが良い」と思い、11時ごろ現地に到着してみたら…誰もいない。そして上映時も満席ではなかった。正直拍子抜けしたが、今回は会場が複数用意されていたから、観客が分散したのかもしれない。

さて、映画はというと、「難民映画祭」という名前がついているものの、単なる難民問題を取り扱った映画ではなく、難民受け入れの問題を軸に、ジャンベにのめりこんでいくうちに、友情や淡い恋が生まれ、主人公が人間らしさを取り戻す姿が描かれていくものだった。何となく「Shall We dance?」を思い出させる内容。思ったよりいろいろな要素がてんこ盛りだったのは意外といえば意外。

この映画の中で登場するのは、主人公の大学教授の職場があるコネチカット、学会で訪れる(そしてかつて住んでいた)ニューヨークの町の各所。それぞれの町の風景が、それぞれのシーンごとの持つ文脈を強調するように町の一角がうまいこと映し出されていくのが非常に興味深い。
また、微妙な人間関係の描写が役者の表情で描かれているのも私的には面白いと思ったところ。

地味だけど、映画の内容そのものはもちろん、映像や演出面でも工夫がこらされていて、いろいろ考えさせられる映画だった。

昨年もこの映画祭で映画を見たけど、この映画祭は、まじめなテーマを取り扱っていながら、上映される作品がバラエティ豊かなのが魅力。しかも入場は無料(でも寄付は大々的に募ってます)。贅沢な話だ。これでちゃんと寄付が集まっていたらベストだと思うけど…どうなのでしょうか。

つぶやき
[PR]
by turujun | 2009-10-04 22:31 | 映画
開催場所が自宅から近いということで、はじめて詩のボクシングに触れてみることにした。

映画を見終えてから会場に向かったので、到着したときにはすでに「試合」は2回戦目まで進んでいた。

詩のボクシングとは、その名のとおり2名の「選手」がリング上でそれぞれ自作の詩を朗読し、それをジャッジが判定するというもの。参加者は若い人が多いのかと思ったが、たぶんアラサー以上がほとんどっぽい。そしてわざわざ東京に出てきてまで参加している人が少なからずいた。

さて、詩をざっと聞いていて思ったのは、
-男性は生き死に、女性は恋にまつわる内容が多く、そういうものを読んだ人が勝つ傾向にある。
-言葉としての美しさより、強度のある表現ができている方が勝つみたい。
-詩そのものの完成度というよりは、ドキュメンタリーというか、自分自身の体験そのものが前面に出ている方が勝つようだ。
-そして、詩の内容と、読み手の個性(読む調子)がひとつになっていればいるほど勝っているっぽい。
-何より、自分を何もかも、その人らしくさらけだした人が勝つのだろう
ということ。

私の「詩」体験なんて学生時代の国語の授業で触れたものに毛が生えたぐらいなので、この試合に参加している人たちの「詩」を聞いていて、「これって作文じゃないの?」と思ってしまった。聞いているうちに、「詩」と言ってしまえばなんでも「詩」になるのかな?と思ってしまったぐらい、インパクトのある体験だった。

優勝した人は、その人自身の過去そして現在の体験のすさまじさもさることながら、それらを清濁併せ呑んで詩にしているところと、それを表現するにあたり、ただ自分をさらけだすのではなく、きちんと演出していたところが他の人と大きく違うところで、そこが優勝に値した(といっても全国大会がこれからある)のだろう。
[PR]
by turujun | 2009-10-04 16:00 | アート
初演は何気なくスルーしてしまったが、やたらに良い評判を耳にするので、今回の再演を観てきた。

当日パンフに「自分の家族のことを書いた」というようなことが書いてあったのだけど、もし本当ならばずいぶんと壮絶な過程に育っているし、息の詰まるような家族の関係なのだな…というような内容だった。


脚本自体は、ちょっとした小技を差し込みつつも、全体の流れとしてはずいぶんとシンプルであるように思った。それが家族関係の描き方とそれぞれの考え方や行動の見せ方が、シンプルながらも絶妙な組み合わせで構成されていて、観ているうちにパズルが組みあがっていくように理解できていくようになっているのが、非常に面白かった。
[PR]
by turujun | 2009-10-03 19:00 | 演劇