舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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「日本語が亡びるとき」という剣呑なタイトルの本がインターネット上で話題になっていて、それで興味を持っていた(この本自体はまだ読んでない。)が、この件についていろいろなブログを見ていたら出てきた本がこれ。図書館の蔵書を検索したら、首尾よくすぐ借りられるようなので、借りて読んだ。
新書ということで、軽いタッチなのかと思いきや、いきなり「母語」と「母国語」の違いの定義の話からはじまり、言葉が生み出す差別、言葉の強制による国家の支配などなど、これまで考えたこともないような、いつも使っている「言葉」と「国」との関係が語られている。

あまりに考えたことがない話であっただけに、スッと理解できるようなものではないのだが、その一方でこの本の中で語られる、さまざまな事例から分かる差別・支配の歴史の残酷さに一瞬頭がくらっとしてしまった。

新書なのに、さらりと読めない。そんな感想で2008年最後の投稿とします。では、また来年もよろしくお願いいたします。
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by turujun | 2008-12-30 22:12 | 書物
14時開演、終演は17時。上演時間が長いことで知られるケラリーノ・サンドロヴィッチの作品であるが、今回もまた長かった。
でも、異常な密度と暴力、そしてこの作品の素材がかもし出す切なさゆえに、全く長さが気にならなかった。

今回は本当に面白い。続きはまた後日。
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by turujun | 2008-12-21 14:00 | 演劇
カンパニーとしての活動は今年2月のBankart以来。
今回は美術家の出田郷、音楽家の大谷能生とのコラボレーションという、神村恵としては初の試みもある期待の公演。

さて、会場であるSTスポットに入ると、白い壁とグレーの床に囲まれた舞台には、何もない…。
出田郷の「舞台美術はどこに!?」と思っていたら、舞台が始まってダンサーがぼちぼち持って出てくる白い箱がそれだった。
これは白い立方体で、一面にレンズが取り付けられ、そこから光を放つというもの。それをダンサーが舞台上のあちこちに積み重ねたり、移動したりする。そしてその一方で4人のダンサーが身体を動かしている。
それははじめは何の規則性もないようでありながら、ずっと観ているうちにそれが以前出てきた他のダンサー動きを踏襲していることが分かってくる。また、あるダンサーがとあるポーズをとろうとしているときに、別のダンサーがそれを阻止しようとする。
それらが、舞台美術の箱を動かす行為をランダムに挟みながら、繰り広げられているうちに見えてくるのは、個から始まった動きが全体に広がって一つのダイナミックな動きへと広がっていく様だった。

神村の作品には、分かりやすいメッセージや、既存のイメージを喚起させるような動きもなければ、演劇的な要素もない。そういう意味で分かりやすいダンスではないけれど、私にとってはそれこそが神村のダンスのよさだと思っている。
ダンスで何かを表現するのではなく、ダンスとは何かを探る。それが神村のダンスではないかと、私は思っている。そしてそういうダンスがダンスとして存在するのは、ありだと思う。
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by turujun | 2008-12-20 19:00 | ダンス
レクリエーション演劇を標榜して活動しているあなざーわーくす。その作品は、観にきた観客を巻き込んで作品に取り込んでいってしまうというもの。それは、お客さんに声をかけ、セリフを朗読させたり、結構間抜けなポーズをとらせるという大胆なもの。
ゆえに、観るに徹したい人には全くオススメできないものの、いったん巻き込まれてしまえば、周りも巻き込まれているのだから恥ずかしがる必要なし(!)。

今回の作品は、タイトルにあるとおり、カフェでの公演。この「マンジウカフェmugimaru2」というお店は、店名にあるとおり、おまんじゅうがメイン。神楽坂上交差点をちょっといった路地にひっそりと佇んでいる古い民家で営まれている。
会場は、このカフェの2F。この建物自体が非常に狭く、受付を済ますと1Fはすでに靴で足の踏み場もないほどのところを、何とか靴を脱いで、ビックリするほど狭くて急な階段を上ると、味がりまくりな屋根裏部屋のような空間が現れ、そこにちゃぶ台のようなテーブル、そして座布団が並んでいる。

この作品のタイトル、そしてお店のメインどちらにも「マンジウ」ということばが含まれているということが示すとおり、この作品ではおまんじゅうが大切な役目を果たしているとともに、劇中で一人2つ振舞われる。なお、飲み物も付いて来るのだが、その選択肢がビール・チャイ・ハーブティーの三種。後者2つは分かるけど、ビール…。おまんじゅうに合うのかどうかが分からず手が出せなかったが、どうだったのだろう…。

さて、内容はというと、ときは1960年代、高度成長期真っ只中の日本に増殖した「団地」に住まうとある団地妻の身の上に、ひょんなことから起こった事件がもとに展開される韓流ドラマチックな壮大な物語といえばそうかも、というようなもの。
といっても、緻密な時代考証がされているわけではなく、むしろ「団地妻」と、そこに付随するいくつかの言葉から出てくるイメージがつながって広がるたくましき妄想の世界といったほうが適当かも。第一、冒頭で語られる「団地妻」の定義は、妄想以外のなにものでもない。

「1960年代には宅急便はまだない!」とか「『団地法』なんてあるのかよ!?」といった細部における適当さ加減はさておき、mugimaru2の2階にぎっしりと座った観客の間を縫って移動しながら、シュールかつばかばかしい世界を展開していく力技はまさにお見事。
劇場ではないということもあり、設備面では(当然だけど)制限が多いと思われる中、それをほぼ人間の表現力で実に楽しそうにクリアしていくところもまたお見事。

あなざーわーくすの役者達は、お客さんに劇中のいろいろなパートにある意味半ば強引に参加させ、ときにお客さんにダメだししたりすることもある。それが可能なのは、そこに「可愛げ」と臨機応変さがあるからなのではないかと。ダメだしするにしても、話の流れと役のキャラクターを読み、それにあわせた言葉でもってやり直しを促すものだから、客としてもやらないわけにはいかなくなり、ちょっと頑張ってしまう…といったところか。コミュニケーション力がなければこれはなかなかに出来ない。真面目な話、これはスゴイと思う。

観客参加型演劇ってないわけではないけど、これだけあからさまに巻き込んで、しかも観客が嬉々としてそれに応える劇団ってここぐらいなのではないかと思われる。それぐらい「観て楽しく、やってさらに楽しい演劇」。
なにぶん巻き込み型なものだから、観客の数は当然多くなく、リピートしたらそのうち覚えられてしまいそうでちょっと恥ずかしいのだけど、それにもかかわらずリピートしたくなる魅力がある。うーん、悩ましい。
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by turujun | 2008-12-06 19:30 | 演劇