舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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<   2008年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

思えば、今回がお初の「ポかリン記憶舎」。伝え聞いた情報からすると、「和服美女の競演」らしいが、どうだったか。

まず、劇場に到着するや否や目に飛び込んでくるのが、受付周りの人々が和服姿。ウワサは本当だった!とワクワクしていざ客席へ行ってみると…いつもある客席は2列ほどで、私が座るべき席は劇場の下手側壁沿いの席であった。いつもなら座席がある辺りには、大きな台形の舞台が。それは劇場の明かりの下ではベージュっぽく見え、その側面にすでに役者が横たわっている。その役者達の衣装は…和服じゃない。男性は無地のイスラム系の人が着ているような形のジャケットにパンツ、女性はカットソーにパンツonスカートのレイヤードといった感じのもの(言葉で説明するのはちょっと難しいのだが)。どちらも舞台の色味に合わせた様な淡色系でまとめられていた。

さて、作品の中身としては、この舞台と衣装の色味のようなイメージが貫かれる中で、メインの男女(この二人にはとくにつながりがなさそう)の過去に行った大切な人への非道な振る舞いををじわじわと追求していくといったもの。いわゆる起承転結はなく、また強烈な人間ドラマがあるわけでもない。いつの間にか現実ではない別の世界へ入り込んでいってしまっているかのように、なんとも詩的な世界の中で残酷さがせめぎ合っているような感じ。

今回の作品ですごく印象的だったのが、声の使い方。作品の前半で、主人公の女性がギャラリーへ行くのだが、そこが定休日であることを示すとき、またカフェを目指してようやくたどり着いたらすでに潰れていた、ということを表現するのに、女性の役者が「本日は定休日です…」とか「長年ご愛顧いただきありがとうございます…」とか言うのだが、そのときにとても澄んだトーンで、ふんわりと言うことで、その事実が提示される。実際にはその状態にあるときに、「声」がそれを示すことはまずないのだが、それを思い切ってやることで、見る側に「ああ、そういうことね」と了解させる表現ができるというのを見て、作・演出の明神滋の演出のアイディアにすっかり驚かされた。
また、メインの2人以外は場面の転換にあわせ、ときに通りがかりの人になり、ときにバスを待つ列の人になり、はたまたマンションに住む大家族になったりと、変幻自在。そのめくるめくしなやかな変化がまたこの作品の世界を不可思議なものにしていた。

舞台芸術における「女性らしさ」の発露というと妙なヒステリー感覚だったり、情念だったりする傾向が多いように感じられるのだけど、ポかリン記憶舎はそういったものとは全く一線を画しながらも、こういう世界観はやはり「女性」だから創りえるのかな、とぼんやりと思った。

こちらのブログに、公演画像が掲載されています(いいなあ…)。作品の雰囲気が伝わってくると思いますので、合わせてどうぞ。
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by turujun | 2008-11-30 20:36 | 演劇
まともに働いていたら、会社の場所からしたらどう考えても上演時間に間に合わないため、今週あたまに上司に「私的NO残業デー」を宣言した私。
もうその甲斐があったと言いきれる作品だった。

会場は津田ホール。千駄ヶ谷駅前すぐの好立地にあるホールだ。名前の通り津田塾大学の持ち物のようで、基本的にはクラシック音楽のコンサートが行われているところのよう。

構成は前半が現代音楽3編、そして後半が表題のダンス作品ということで、前半はあまりなじみがないものを鑑賞することに…。正直言うと、私はそんなに現代音楽が得意なほうではなく、おそらく音だけを聞いていたら、絶対にすぐその場を離れるか、CDであれば止めると思うのだが、目の前に演奏している人=動いている人がいれば、それに目が行ってしまうので十分楽しめる。
ノイジーかついびつな旋律を奏でる演奏者の動きは、クラシックのそれとは違い、やはりパフォーマンス的なものに見えてきて、あたかもあの動きのためにこの音があるのでは…と錯覚してしまうほど面白い。しかも当然のことながら演奏者は皆座って演奏するので、その動きは上半身に限定されており、その制約がまた不自然さを増長させ、面白さを増していくのだ。


すっかり前半で演奏者の「動き」を堪能した私は、後半にはいり、想像以上に感銘を受けたのだった。
はじめのうちは、「演奏をしている人」「踊る人」がイーブンな立ち居地で舞台上にいることで、そこに拮抗感が生まれるのだが、そのうちに彼らが互いの役目を損なうことなくゆっくりと融合し、一つの作品を成していく。当然互いの間には相容れない何かがあるのだけど、それでもなお互いの世界にクロスオーバーする中で、一つになるわけではなく、存在としては2つなのだけど、互いが共存していくという、いわば緊張→融和の流れに、なんともいえない安堵が感じられたのだった。


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by turujun | 2008-11-30 10:21 | ダンス
今回の横浜トリエンナーレは1枚のチケットが2日間有効。
明日までが会期ということで、昼間に先日観ていなかった赤レンガ倉庫を中心に見てきた。

赤レンガ倉庫では、展示はそんなに多くなかったのだけど、昔のパフォーマンス記録映像の上映をやっており、その中に土方巽の映像があり、ダンス好きとしては見逃せない!とベンチを陣取り見たところ…今よく巷で観られる暗黒舞踏というものとは全く違うものだった。
だいいち、モノクロ映像なので実際のところは分からないが、白塗りじゃない!また御輿に乗って舞台へ登場したり、その御輿には天蓋というかおかずのホコリよけのようなものがぶら下がっていたり、舞台上に大きな鏡のようなものが三枚ぐらい並んでいてそれがパタパタと動いて光を反射させていたりと、今のダンスではあまり見ないような、大仕掛けな舞台美術であることに驚かされた。
これまで「舞踏」というのは身体ありきだとしているのだとばかり思っていたが、この映像だけを見る限りでは、身体も大事だけど、舞台美術も同じぐらい大事にしているようだ。
しかし、一番驚いたことといえば、性的表現の過剰さだったりする。ロングドレスの下にペニスケースをつけていて、ドレスを脱いだ状態で腰を前後に振ったり、しまいには手足を縛られて吊り上げられ、舞台袖にはけていったりして、なんだか昔のモラルの厳しさからしたら、相当に大変なことをやっていたんじゃないだろうか。それでいて痙攣したり、ぎこちなく歩いたり、結んでいた髪の毛を下ろしてうっとりともてあそんだりとグロテスクさとエロティックさが同居したような動きが展開されるのだから、かなり見づらい映像でありながらも、そこから伝わってくるものはとても濃厚。これをリアルタイムで見た当時の人達にとってはたいそうショッキングだっただろうと思う。あと、これが「日本青年館」で上演されていたというのは、今を生きる私にとって、また意外な感じ。

他にもいろいろあったのだけど、昔のパフォーマンスの映像は、何をとっかかりにして見たら良いのかよく分からないために、何となくピンと来なかったのが正直な感想。そのピンと来なさこそがテーマであるところの「Time Crevasse」だと言うのであれば、そこはまったくその通りなので、腑に落ちるけど。

さて、ダンスつながりという意味でいうと、今日はみなとみらいにある「リングドーム」にて行われたモモンガコンプレックスのパフォーマンスも観たのだ。これもトリエンナーレのイベントの一環ながら、観覧無料。17時~ということで、始まる前にリングドーム周りに行ったら、ビニールシートを渡されたので、それに座って観賞。
リングドームは白いフラフープみたいな輪を組み合わせて作られたドームで、ダンスはリングとリングのスキマから覗き込むような形で観る。だから上演前の仕込みも丸見え。
パフォーマンス自体は15分と、ビニールシートがあるとはいえ、夕方に地面に座っている身にはちょうど良い長さ。
個性的なダンサー4人による可愛らしさ少なめ、自己主張多めのコミカルなダンス。ダンサーの衣装が思いっきり部屋着だったり、場末のスナックのママ風だったり、なぜかボディボーダーだったりと完全にばらばらだった時点でそのダンスがバカ系であることを約束していたが、期待に違わぬバカっぽさだった(ほめ言葉)。使われている音楽が横浜しばりなところにサービス精神を感じた。

2日かけてトリエンナーレを見てみたが(1日目はこちら!)イベントまでフォローしようと思ったら、2日でもとても足りないというのが正直なところ。第2回のトリエンナーレのようにパスポートを用意したらよかったのでは?と思わないでもない(収益の関係か?)。
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by turujun | 2008-11-29 23:14 | アート
前回の「SOMEDAY」で、手堅い戯曲とキャラモノ揃いの劇団員がツボだったStudio Salt。トリエンナーレとセットということで、本日夜に観劇してきた。
今回の作品は死刑執行に臨む刑務官の話。私はこの秋、「どんとゆけ」「The Diver」、そして今月はこれと立て続けに「死刑」に関する舞台を観ている。意図しているわけではないけど…今年たまたま多かったんですかね?

詳細は後ほどなのだが、作・演出の椎名泉水は前回のような軽いタッチのものも上手いけど、今回のようなシリアスな内容のものも上手い。また、ココの劇団員はもてないオヤジ達のだらしないやりとりを演じたら天下一品なのではないだろうか。横浜トリエンナーレ同様に明日が最終日なので、お時間があればセットでどうぞ。
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by turujun | 2008-11-29 18:30 | 演劇
怪人21面相、といえば、私が小学生の頃世間を震撼させたグリコ・森永事件の犯人が使っていた名前(実際には「かい人21面相」)。
この作品は、この事件の犯人を朝日新聞の記者・元警察・元KCI・そして江崎グリコの役員として描いている。

この事件のこと自体は、断片的にしか覚えていないので、普通に面白く観たが、上のリンクを貼るべくWikipediaで調べてみたら、この作品が、この事件にまつわるいろいろな説を元に作り上げられているかがよく分かった。
「偶然にしてはできすぎじゃないか!?」といいたくなるような展開が目に付きはしたものの背景も生き方も違う犯人グループ4人の内輪での心理戦の駆け引きと、とセリフを成す言葉の格好良さが、その「気になるポイント」を凌駕していた。

脚本の面白さもさることながら、演劇として面白くしているのは、この作品が上演された場所の使い方の上手さだ。

会場となったSpace Edgeは、劇場やイベントスペースというよりは、ちょっとした倉庫とでも呼びたくなるような無骨な空間。しかも舞台として利用しているのは、入り口を背にした狭い空間と、客席の上に位置する2階部分。あたかも犯人4人が隠れ家にいるのを覗き見ているかのように空間が創られているのだ。これはまさに場所選びの勝利。

さらにこの作品の面白いところは、この劇団の作品の一つである「三億円事件」とのシリーズ物となっているというところ。こちらは私は観ていないのだが、作・演出で前説・後説担当されていた野木萌葱さんが、台本販売の案内でそのように言っていて、どうやら出演者がかぶっているのだそう。これはまた面白そう。
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by turujun | 2008-11-24 14:00 | 演劇
もうすぐ会期終了の横浜トリエンナーレ。都合がつかず、ようやく足を運べるように。

今回は会場がいくつもに分かれている。三渓園を除けば、それぞれの会場はシャトルバスが出ているし、何よりちょっと頑張れば歩いて回ることだってできる。特に22日のように天気が良いと、もう最高の散策。
しかし、ぜひ気をつけたいのが三渓園。地図で確認すると分かるが、ここの所在地は本牧。バスで行かなければならないけど、会期中は(土日祝日は特に)バスがすごく混んで、現地到着までに下手すると1時間近くかかることも。また、三渓園自体も結構広い庭園で、なかなか見どころたっぷりな場所だから、この機会にじっくり見ておくと良いと思う。今の時期は紅葉もきれいだし、菊の展示もあって、そういう意味では和とコンテンポラリーアートという稀有なコラボが実現。こんなことはおそらく今後あるかどうか分からないので、トリエンナーレの作品だけを見てさっさと横浜方面へ帰るできれば1日三渓園をメインとして回る日を設けるのがベターかと。


前回のトリエンナーレの、ある意味勢い任せな祝祭感や熱さは今回はなく、むしろすごく手堅く運営されているように思える。すごく優等生的といえば聞こえは良いのだけど、淡々と物事が進められていて、ちょっと寂しい。
その一方で、今回は「パフォーマンス」をフィーチャーしているらしく、その旨会場にも掲示があるのだが、逆にとればそれは「パフォーマンス」をしていないときにいくと、本当に物質として存在している作品しか見られず、ちょっと拍子抜けしてしまう。これから見に行く人で、心底楽しみたいと思っているのであれば、事前調査が欠かせないことをお知らせしたい。

また、今回はフラッシュ撮影・動画撮影をしなければほぼ場内の作品の撮影OKなので、カメラ好きな方は必携。アート作品を撮り放題というまたとないチャンス。
私も会社で「一眼デジカメに慣れよ」との指令を受けていることを良いことに、備品のカメラ持参で行ってきましたので、画像をPCに取り込んだらここでアップいたしまする。

※横浜トリエンナーレ観賞記その2はこちらから
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by turujun | 2008-11-23 12:49 | アート
岸田國士戯曲賞受賞後の、五反田団としての初公演は、劇団員+劇団員以上の常連・THE SHAMPOOHATの黒田大輔と安藤聖による4人芝居。

父親と、ペットの「太郎」の死について、いろいろなことをしている中で、黒田大輔演じるところの「次男」がさまざまな困難にであって悶絶する話、でした。

五反田団の話は前からそうだけど舞台上に設定されている場所がめくるめく変わっていくのが定番であり、今回もそういう話。次々に居場所は変わっていくけれども、そこにある4人の人物の関係のありようと、そこに起きる次男のジレンマや不安は変わらずにそこにある。そんなわけでこの作品のメインは何といっても黒田大輔なのだが、今回誰よりも汗だくになって体を使いまくってそんな次男を演じている。

また、ここのところの五反田団に一貫して表れている「死」というモチーフが今回もズバリ出てきている。
ただ、今回の作品では「生きているものはいないのか」のような死のありようの概念を覆すかのようなところではなく、死に対する人の感情はわりとオーソドックスに描かれていて、むしろ死の周りにいる生きている人間の、現在形の関係を描いている。そういう意味で内容はシュールながらも、意外に普通な家族の物語ではある。

目覚しい活躍を見せる前田司郎ではあるものの、このスペースでこの規模、そしてこの内容の言ってみれば「五反田団」らしい作品をみせるところがまた観続けている人間にとっては嬉しい限り。これからもこの規模の作品をずっと作って欲しいところ。


※12月の、高校生の作品(前田司郎作・演出らしい)も面白そうです。
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by turujun | 2008-11-16 22:53 | 演劇
先週日曜日の出勤の振り替え半休(といっても実は終業2時間前にようやく会社を出られた…)を利用し、世田谷パブリックシアターへ。
昨日、世田谷パブリックシアターのチケット購入ページでこの公演のチケットを見たら、あらかた売り切れていたのもあり、今日当日券で観ることを決意した次第。

この作品は、安部公房による戯曲。内容はこちらに書いてあるとおり(というか岡田さんのブログ)だったので、びっくりするぐらい観ていて辛い内容だった。

これまでの岡田さんの作品と明らかに違うところは、この作品が上にも書いたとおり、彼自身の戯曲ではなく、役者もいわゆる小劇場系の人が殆どいないというところ。かろうじて加藤啓が小劇場系といえばそうなのだけど、彼もかなりキャリアは長いので、やはり畑の違う人々との創作ということになる。

戯曲が違えば演出も変わる…のは当然かもしれないけれど、そもそもの演出における役者の意識のベクトルが全然違った。これまでの作品では、あくまで作品の中の役者同士はその世界の中で互いに意識が通うことを前提として、それでいながら生まれるズレをたくみに表現しているようなところが強いように思われたが、今回は意識的に役者が客席の方に顔と身体を向け、言葉を発していた。それはいわゆる「内なる人」に語りかけるべき言葉であるときにさえそうであるわけで、それが「家族」でありながらも実のところ面と向き合わずに意思疎通をしていないさまを強調し、この「家族」のありようや善意の胡散臭さを浮き彫りにしていた。
また、チェルフィッチュ作品での特徴の一つである役が次々に移り変わっていくことも今回はなく、一人の役者は一人の役を演じていた。ゆえに前半にちょっとだけ出てくる人、とか中盤にちょっとだけ出てくる人、という役者もいて、パンフにはチェルフィッチュ作品では考えられないほどたくさんの人が出演している。

胡散臭いといえば、このベテランぞろいの役者の中でも若松武史のそれはもう群を抜いている。
遊園地再生事業団でたびたび彼の演じる姿を観てきたが、そのどれもがなぜか役を形容する際に「あやしい~」とか「胡散臭い~」とつけてからでないと表現できないようなものばかり。しかも今回を含めこれまでの役を全て流麗な台詞回しで語っている。それは一見どれも同じように思えるのに、何故か観るたびに「ざわざわ」してしまうのだ。
以前遊園地再生事業団(だったと思う)で「新劇の亡霊」みたいな役をやっていただけに、前時代的なオーラぷんぷんなのだけど、それをてらいもなくやるところの潔さが逆に面白い。
その他、大駱駝艦の麿赤兒が出ているせいか、これまでの岡田作品には当然のごとく微塵も感じられなかったアングラ色がふんわり漂っていたりする。

内容が内容なだけに非常に観るのが精神的にしんどい作品ではあるけれど、今までの岡田さん作品がよう分からん、という人にはむしろ面白く観られるのではないかと思われます。
惜しむらくは、チケットの高さか…(前売りだと5000円。当日券の場合はトラムシートなら4500円)。
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by turujun | 2008-11-15 00:36 | 演劇
この劇団は、同公演の開催期間の日曜日に「朝ごはん付き公演」なるものを実施していて、それが本当は観たかったのだけど、公私の都合がつかず、残念ながら普通の公演のみの観劇とあいなった。

はじめのうちは、何がしたいのか全然分からなかった(ので、途中で退出する人出現。日本人では珍しい)が、ちょうどその途中退出した人が出現した直後にいきなり新たな展開が始まり、ぐんと面白くなっていった。もう少しガマンしていれば良かったのに、あの人…と思わずにはいられない。

すいません、体調不良なので、今日はここまで。
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by turujun | 2008-11-08 14:00 | 演劇
今日は連休最終日。昨日まで実家にいたのをそのまま留まらず自宅に帰ってきたのは、横浜トリエンナーレに行くためだった。しかし、なぜか今日いたのは東急蒲田駅。朝、パソコンを点けたついでにチェックしたインターネットでこのイベントを知ってしまったからだ。

このイベントは、東急多摩川線という、東急沿線の中でもローカル線チームに入る、始発から終点まで15分くらいなのでは?という大変短い路線を走る電車の中でパフォーマンスを行うというもの。
三車両のそれぞれで柴幸男・中野成樹・山下残の手によるパフォーマンスが上演された。

私が乗り込んだのは山下号、つまり山下残によるダンスパフォーマンスが行われる車両。私が玉川駅の受付に着いたのが遅かったからなのか何なのかは不明だが、アーティスト選択はできなかった(でも、演劇ジャーナリストの堤さんは選択してたっぽいので、ちゃんと受付開始時間に受付していれば選べたかも) 。

私達が乗り込む車両は当然のことながら回送列車。池上線の2番ホームで整列して待っているとホームにすでにパフォーマーと、その舞台が準備万端の状態になった車両が滑り込んできた。
クレヨンで絵が描かれたような紙が床に散乱している車両は、柴号らしく、山縣太一やカワムラアツノリほかダンサーが5人乗っているのが山下号、そして女装した中野成樹とグレーのパーカを着用した男性が乗っているのが中野号らしい。
停車してしばらくすると順次乗車、着席。
そこにダンサーが一列になって通路に登場し、等間隔を空けてそれぞれ立っている。
そして発車する直前、ダンサー達が動き出す。
その動きは誰かの動きに他の人が反応し、それに呼応するように身体を動かすような形で展開される。それは必ずしも全く同じというわけではなく、動きのエッセンスを捉え、それを別のダンサーがアレンジしていくような即興的なもので、つまり各ダンサーによりその動きのエッセンスの解釈は全然違うため、その連携はパッと見ばらばらの動きのように見える。

電車はゆっくりと動いているため、揺れはさほどではないものの、やはり走行中に移動したりもするので、身体はどこか不安定さがある。でもその不安定さをもとりこんだかのような、つながっているようでつながっていない、でもつながっていないようでつながっている即興的なダンスはすごく空間が特殊なのも相まって面白い。
特に、やはり山縣太一は素が面白いのか分からないけど、ここでも妙に飄々とした動きをして観る人の笑いを誘っていた。また、5人のうち一番背が低く、髪の毛の長い女性(ちょっとニブロールとか遊園地再生事業団とかに出ている三坂さんに似ている)の動きも個性的でかわいらしくて目を引いた。

たいていの電車がそうであるように、多摩川線も連結部にガラス窓があり、そこから隣の様子がちらちら見える。姿は見えても声は当然聞こえないので、凄く気になった。
(スタッフいわく、「山下号が一番マニアック」だそう)
このイベントは2日間限定。なのに3両編成。2日間通い詰めても全て見ることは出来ないという、ちょっと意地悪?

【余談】
このイベントを観ている間、ずっと前に見た手塚夏子さんの公演を思い出した。それは彼女自身が企画したもので、使った路線は都電荒川線だった。今回のイベントに関わっている人や規模と比較すると、いかに手塚さんがパワフルな創り手であるかを実感せずにはいられない。スゴイ。
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by turujun | 2008-11-03 21:09 | ダンス