舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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前々から観てみたい…でも暗くて受け付けないかも…と興味はありつつ、一歩を踏み出せずにいた乞局。ようやく観にいった。

以下、続く。


感想としては、やはりものすごく陰気なのだが、陰を追求してある瞬間に意外に陽転していくような潔さがあった。
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by turujun | 2007-10-28 15:00 | 演劇
かつて、人間味あふれる彼らの「収穫祭」を目撃し、船橋の小さなカフェでのパフォーマンスまで足を運んだことのあるMonochrome Circusの公演が、久々にあったので、行ってみた。


作品が始まるまでは特になにがある、という感じではない白い壁のシンプルな舞台。
だが、舞台がはじまると、舞台正面・左右の際にLEDライトがぐるりと28台おかれていることがわかる。

そこで、二人の男性と一人の女性が動いていく。

もしかすると「収穫祭」がその公演スタイル上特殊だったのかもしれないが、今回の作品は妙にクールな感じをひたすら狙って、しかも狙いに届いていないような印象を受けた。

ダンサー同士の密なコンタクトによる複雑な動きが多彩に展開されていくところがこのカンパニーの面白いところだったのだが、今回の作品はそういうところが少なく、私としては非常に寂しい思いをした。身体を見失い、表面上だけのかっこよさを追求するようなカンパニーではなかったと思うのに…非常に残念だった。

ただ、そうは言っても、ダンサー同士が関わりあう部分の動きでは、私がこのカンパニーらしさととらえている特長を見せていたことと、その空間でやりたいことの意図がはっきりと見えて来ていたので、そこはよかった。
問題は、ダンサー同士が離れているときの互いのあり方がよく分からなかったのと、ラストがあいまいな動きの繰り返しでただ動いているだけに見えたこと(あくまで私にとって、という意味だが)。


余談ですが、会場は自由席。私のとなりは元・水と油のじゅんじゅんで、じゅんじゅんの後ろにももこんがいた。だからといって何ということはないのですが。
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by turujun | 2007-10-20 15:00 | ダンス
とあるダンス批評家の方のサイトで、この作品が激賞されていたので、昼間からビールとソースの香り漂う街、月島のちょい外れにある倉庫内のギャラリーへと向かった。

ここは本当に倉庫!という感じのところで、天井も鉄骨むき出し、壁も寄りかかったら倒れてしまいそうだった。(実際そうだからなのか、汚して欲しくないからなのか、「壁には触らないでください、手を触れないでください」とスタッフの方が注意していた)

さて、今回の作品は、非常に刺激に満ちていた。それぞれのダンサーが、安定を保とうとしながらも、何かの衝動に体を動かされているかのような、激しい動きが多い。そこには実際にそういう動きがあるなしにかかわらず、暴力が感じられた。そしてその暴力というのは他者に対するものであることとともに、自らに対する暴力でもある。



シンプルな照明の中(ギャラリーということで、あまり凝ったものができなかったのかな…などと思う)、4人のダンサーによる苛烈な世界が繰り広げられていくのだが、特に印象深いのが、冒頭のシーン。のっけから激しい鈴木ユキオのソロに始まり、女性二人が出てきて、積み重なった板の下(中)から男性のダンサーと安次嶺菜緒の絡みがあるあたりまでがとくにグロテスク。

振り付け自体は前回の「犬の静脈に嫉妬せず」を思わせるものがあったのだけど、今回の方がよりからだの動きが磨き上げられている。鈴木ユキオのソロといい、女性ダンサー2人(特に安次嶺の動き)の動きといい、一見単に暴れもがいているようでいて、基本的な動きのシークエンスは決まっていているのが観ているうちにわかってくる。そしてその動きが出てくるたびに、舞台の上に新たな衝動がたちのぼってくる。




ふと思ったのだが、前回の「犬の静脈…」は土方巽、「沈黙と…」は武満徹の言葉らしい。
ただし、武満徹のは、「音、沈黙と測りあえるほどに」と「はかる」に漢字があてられている。この作品だとここが平仮名になっていて、かつ「音、」が削除されているので、余計に奥深い。
原典のように沈黙と「測りあう」のかもしれないし、「諮りあう」のかもしれないし、「謀りあう」のかもしれない。どれもダンスとならば可能なのでは。
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by turujun | 2007-10-14 15:00 | ダンス
いつも観にいく、というわけではないけど、たまに観にいく THE SHAMPOO HAT。今回はタイトルがなんだかかっこよさげなのが観劇のきっかけだったりする。


基本的にこの人たちが(というか作・演出であるところの赤堀雅秋が)創る作品は、すでにダメというよりは、ダメスパイラルに巻き込まれ中、という話が多いように思う。今回の作品はまさにそれ。あらすじとしては、一つの事件を核とし、加害者と被害者が事故数年を経て関わりあうという内容。

たしか明日まで上演中なので、詳細は書きません。
場所の設定としては、
ガソリンスタンドの事務所
自宅
公演
ラブホテル
雑木林
…いろいろなところに移動していくのだが、舞台上には各種大道具・小道具がすでに置いてあり、かなり雑多な印象を受ける。それらをどのように使っていくかというと、場所が変わると照明がその場所に該当する大道具のあるところにあたり、役者がそこで演技するので、「ああ、今ここはガソリンスタンドの事務所なのね(例)」と分かる…といったところ。
この雑多な感じがやたらと力を発揮するシーンが後半部分にある。


この劇団は以前はいわゆる「静かな演劇…」の流れの中の一つだったように思っていたのだけど、今回の作品では、見た目リアルな演劇から、もっと自分達(赤堀さん?)が追求したいものをより率直に描き出せる表現へシフトしたようだった。
それを可能にしたのは、劇団としての安定感だろう。何せ私が観始めた頃から、役者は増えても顔ぶれは変わっていないのではないだろうか(今回は福田暢秀は舞台美術に専念しているが…)。そのせいか、この劇団は役者さんの水準が高い。一般的に言われるような、キャラが立っている上手さではなく、物語の一人として完成度の高い演技をするので、話がウソっぽくならない。あて書きなんだろうか…と思うくらいはまっているのだが、monoのような「あの人はこういう感じ!」というわけでもないので、違うような気もするが、どうなんだろう。
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by turujun | 2007-10-07 15:00 | 演劇
はじめてみる劇団。三本立てのうち、「三人いる!」を観る。萩尾望都の「十一人いる!」にインスパイアされた、ということで興味をもったので。

リトルモア地下のギャラリーは結構演劇で使用されている場所ではあるものの、本当に小さい空間。照明設備も十分にあるというわけではないので、逆に少人数、かつシンプルなつくりで劇空間を立ち上げる、みたいなチャレンジ精神をもった人のやる気をかき立てるものがあるのかもしれない。




【以下ネタバレあり】











話の内容としては、とある男の家に、見知らぬ男が入ってくる。その男は自分こそがこの部屋の主であると主張する。互いに話をしていくうちに、通っていた学校、大学で所属していたサークル、昔の彼女の名前など、本人でなければ分からないさまざまな過去の情報全てが一致していることが判明。互いに自分こそが本当の自分で、お前はニセモノだろう!といい始める。そのうち、その日友達の家に飲みに行く約束をしていたということで、どちらが本物か友達に会って決めてもらおう、という話になり、友達の家に行ってみると、そこでもまた同じ事態が起こっていた…というもの。
終演後の説明(ポストパフォーマンストークとも言う)で、「十一人いる!」と全然内容違うじゃん、と出演者の一人であるハイバイ・岩井氏に突っ込まれていたが、まさにそのとおり。むしろ真逆の内容だった。

作品の内容としては、舞台上には最大で6人ぐらいいることになっているシーンもあるのだが、それを最大でも三人でやる。またややこしいことを試みるなあ、と思ったが実際観ていると、ややこしいといえばややこしいが、きっちりと筋を通して作っているというか、舞台上の人が増えていく過程でどういう構造で役者がいくつもの役を演じていくかをきちんと理解させてくれるので、混乱はない。
そして作品の構造がわかってくると、その役者の話し手の主体がどこにあるのか、いま誰が誰を演じているのかがわかっていて、その変化を楽しめるようになってくる。

今回の作品を観ただけでは断言はできないのだけど、この劇団の主宰であるところの多田さんにとっては、演劇という手段を使って何かしたいというわけではなく、演劇そのものとがっぷり取り組みたい人なのかなあ、という印象を受けた。

ものすごく新しい、というわけではないけど、ものすごくチャレンジ精神があることは間違いない。また観てみたい。
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by turujun | 2007-10-06 17:00 | 演劇