舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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これまで観てきたNODA・MAPの舞台はほとんどシアターコクーン、1回だけ新国立劇場中劇場と全て規模の大きい劇場だったので、今回シアタートラムで間近に観れる!ということで、とても楽しみにしていた。

この作品は、ロンドンで上演されたものの日本語版。後半にはロンドンバージョン(オリジナルバージョンといえるのでは)も上演される。

原作は筒井康隆「毟り合い」。すさまじいタイトルの話だなー、なんて思っていたら、舞台の内容は観ているうちに「なるほどね」と合点がいく方向に進んでいき、最後はそれはもう目をおおいたくなるような結末を迎える。まさに「毟り合い」。


今回の作品はもともとが英語上演を前提に作られているのか、野田作品にはおなじみの言葉遊びがほとんど出てこない。そのせいなのか、それとも作品の質自体がそうさせるのか、野田作品だとかならずある客席がどっと沸く瞬間がほとんど無かった。そして作品の半ばから後半にかけて、何となく展開が読めてくる(だからがっかりするという類のものではなく、最悪のシナリオどおりに進んでいく)ことで、観ているのがどんどん辛くなっていった(舞台のクオリティが低い、という意味ではなく)。私はロンドンバージョンのチケットもすでに取っているのだが、話の展開が同じものを果たして観に行く勇気が湧くんだろうか…というぐらい残酷。舞台上の表現には具体的な残酷描写はないのに、それでもなお「残酷…」と思うような世界が広がるのだ。

セットは舞台上に紙がしかれ、その端は舞台奥の上部から吊り下げられている。その紙を折ったり曲げたり、破いたりして存分に活用し、最後は役者がそれに包まれて終わる。その様子は子供の簡単な工作のよう。なのに話が上に書いたようなものなので、そのシンプルさと裏腹の生々しさが同時に舞台上にあるというギャップが興味深かった。
また、舞台上の紙にはドアやテレビ、小窓などが映し出され、そこでリアルな役者と映像とがシンクロしていく。そのさまは、KUDAN・Projectを思いださせる。でも、KUDAN Projectは映像と生身の役者の体のシンクロがある意味大きな見せ場であるのに対し、NODA・MAPのそれは、もっとさりげなく、舞台上のさまざまな表現のOne of Themといったところで、もっと大胆であり、ラフに行われていた。

作品のテーマは前作「ロープ」とほとんど同じ。今回の場合は、直接的に戦争をモチーフとするのではなく、対立する関係を個人としたことで、より言わんとするところが普遍的になっていた。これを観て、率直に個人対個人の関係について考える人もいるだろうし、世界情勢に思いをはせる人もいると思う。それを可能になったのは、あえて直接的、具体的な表現を選ばず、シンプル・ラフな要素を取り入れたみせ方をしたからなのかもしれない。
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by turujun | 2007-06-23 16:00 | 演劇
この作品は非常にタイトルが長く、全ての明記するのが面倒くさいので、「放埓の人」
で行くことにする。
当日パンフレットによれば、劇団内では「ほうらつ」で通っていたらしい。

この作品は、イラストレーター・沢野ひとし氏の同名小説を中心とした彼の作品の言葉をもとに創られたもので、彼自身の物語といえるだろう。

この作品を観る前、「すでに観た」という人が2人いて、感想を聞いたところ、一人は「面白い!新しい!」と語り、もう一人は「沢野ひとしってこんなにひどいやつだったのか、と思う」と言っていた。全くその通りの作品だった。実際面白いし、随所に驚きがあるし、なによりこの作品中の「沢野ひとし」ってやつはひどい男だった(特に舞台の後半)。

この作品は主人公であるところの沢野ひとしの一人称で語られるのだが、その語る主体は何人もいる。そして、時を経る中で出会う親兄弟、妻子供を含む大勢の人たちは、一人何役も兼ねて演じられる。こうして言ってみると、ものすごく混乱してきそうだが、さにあらず。複数人で一人の役を演じていても、逆に一人の役者が話の流れの中で別の役を次々と演じていても、観ている側にはほとんど混乱が無く、さっと「今この人はこの役をやっている」と理解できた。そこがまずこの作品の一番の驚きだった。

また、このスペース雑遊はおそらく客席に100人も入らないぐらいの小劇場で、当然舞台も狭い。にもかかわらず、カーテンコールでは、驚くほどたくさんの燐光群の役者が出ていたことが判明し、舞台上+裏の人口密度の高さと、それにもかかわらず舞台がスムーズに展開していたことにさらに驚かされた。

燐光群というと、私の中では「硬派」「社会派」というイメージが強く、今回上演するのがこの作品と知ったとき、「何で燐光群が沢野ひとし?」と思い、観終わってみてもなぜこの作品を選んだのかその意図は全く理解できていない。でも坂手洋二と燐光群って面白いんだね、ってことは分かった。
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by turujun | 2007-06-10 14:00 | 演劇
16時からと、えらい半端な時間に始まる公演であった。

この作品は、全編を通して、言葉に出して説明をすると「かなりきわどい内容だったのだなあ」と思われること間違いなしな動きに満ちていたのだけど、欲情を誘うようなニュアンスではなく、むしろ欲を除去して形と動きだけを残しているような印象を受けた。動きやフォルムそのものと、そこから読み取れる意味の間で揺さぶられてしまう作品だった。


ただし、私が一番上演中に気になっていたのは、舞台の天井からつられていた3つの蛍光灯のようなもの。それは作品が進むにつれ、照明ではなく、「泡製造機」であることが判明する。
はじめ、この装置のひとつから「ぺちゃっ、ぺちゃっ」という音がしてくる。一体それが何であるのかは分からない。そのうち、別の装置から、白い物体がふんわりと舞い落ちてくる。それは着地するときに音がせず、また白くはらはらと落ちて来るので、はじめは「紙ふぶき」かと思っていたのだが、その物体が舞台上に溜まるにつれ、ほのかに出会ったことのある香りが漂い、それがどうやら「石鹸」による泡であることがわかってくる、というわけ。
その泡の落ちてくるスピードが、コントロールされているような、いないような微妙なところであることから、いつしか私はダンスよりも「泡が落ちてくるのかこないのか、落ちてくるならどれぐらいの量が落ちてくるのか、どんな形で落ちてくるのか…」と泡に釘付けに。
作品の一連の流れの中にあるダンスよりも、いつコントロールの支配下から転げ落ちるか分からない泡の危うさの方に心を奪われていたのであった…。


シアタートラムでの独舞を見たのは、近藤良平以来だが、近藤良平のときのセットといい、今回の仕掛けといい、シアタートラム規模の劇場だと、身一つで空間を使い切るのはどうやら難しいみたいだ。
以前、機会があってシアタートラムの舞台上に上がったことがあるけど結構広かったからねぇ、なんてことを思いだした。
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by turujun | 2007-06-03 16:00 | ダンス
私の周りの演劇好きの間で話題になっていたこの作品。
プレビューを観た人が「面白いよ!」といっていたので、観にいってきた。

私は以前、ハイバイの作品を観たことがあり、それは「次も観たい!」と積極的に思えるような内容ではなかったが、今回のは面白かった。


【ネタバレ含みます】
主人公は1年に3歳年をとる奇病に冒されている志賀君。なので学生ながら見た目はもう中年。演劇部に入っている彼はなんだかんだ言いつつも、周りに受け入れられ楽しい学生生活を送っていたが、新しい演劇部の顧問として世界的な演出家・シナガワがやってきて、卒業生を送る会で上演する「ハムレット」の稽古・本番を通じててんやわんやする、というのがあらすじ。

恋あり、友情あり、大人との葛藤ありの青春モノなんだが、片思いの人への気持ちや父親とのやりとりのように妙に「あるある」感と、主人公のそもそもの設定やちょいエキセントリックな演出家、演劇部の仲間のお姉さんのようなぶっ飛び感が並列に存在。前者が、自分の昔を思い起こさせてちょっと気恥ずかしいような懐かしいような気持ちにさせ、そのそばから後者がそれをどーんと突き飛ばしていくというつくりの作品だった。

基本的にコメディ。随所に笑える場所がちりばめられている。
特に私個人として面白かったのが、クライマックスといえる「ハムレット」本番。メインの場面をダイジェストで紙芝居のように見せていくのだが、台詞の言い方とか、役者の立ち振る舞い、立ち位置がやたらとおかしかった。

でも、役者の技量というかアドリブ(ピン芸って言ってよいと思う…)が多くを占めていたちょっと前までの作品とは違って、役者同士の間、会話の一つ一つが笑いを生むタイプの作品。戯曲ははじけているけど、かなりまじめにモノつくりをしている人達なのかな…と思った。


それにしても、前回・今回ともにメインはタイプは違えど、「おっさん」。この作品の作・演出は「おっさん」に何か思いいれがあるのかな?



覚書:帰りに山手線でN○VAの広告を見た。そこにはこの作品で「シナガワ」役をやっていた人が…。
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by turujun | 2007-06-02 19:00 | 演劇