舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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<   2005年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

キレイ

 先週末、大人計画の「キレイ」をシアターコクーンで観た。
 
 大人計画には何の思い入れもないのだけど、ついつい引き込まれて観てしまうものだが、今回は結構よい評判を聞いていたにもかかわらず、私的には、かなり冷めて観ていたような気がする。何でだろうと考えてみたのだけど、ミュージカルを観るときに何が一番印象に残るかというと、歌なんですね、私は。この「キレイ」はキャストの歌も各曲のメロディも悪くないのだけど、あまりそれぞれの印象が強くない。それが冷めてしまった理由かなとか思った。大人計画自体、結構劇中で踊っているから、多少歌が増えたからといって、いつものと劇的な違いがあるようにも思えなかった。一人一人は面白い部分もあるのだが、全体としてまとまりを欠いていたように感じられたのも残念。
 
 ここのところ、目からうろこがおちるような舞台にとんとお目にかかっていない。欠点があってもそれを補って余りある程の舞台って今あるのかしら?今週末の「Osaka short play festval」に期待、かな。
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by turujun | 2005-07-28 00:13 | 演劇

カテゴリ

今日、7月28日のスケルツォの公演@Super Deluxeのチケットをloppiで買った。
Lコードが分からず「イベントか?」「映画か?(佐藤雅彦の「kino」と2本立てなので)」などと散々探した結果、「お笑い」でのチケットとして売られているのを発見。
こういうジャンルわけはチケットを売る側ではなく委託する側が選ぶのだろうけど、それが買う側と一致しないとえらい苦労を買う方がするはめになる、という話。


ところでこのスケルツォ、札幌を拠点に活動しているのだけど、前回の公演(これまた@Super Deluxe)もかなり客が入っていて、びっくりしたものである。どういう経緯でこの人達は集まったのだろう?スーパーデラックスについているお客さんなのか、スケルツォ関係者の友達(東京在住)が集結しているの?とかまあいろいろ考えたのダケド、実際のところはどうなのでしょう?まだ不明。ちょっと興味有り。ちなみに私は昨年札幌で入手したフリーペーパーで知りました。そして私にとってはスケルツォは、お笑いではないな。その辺りもどうなのでしょう?

【後日、見た後の感想(仮)】
新ネタあり、前回と同じものありでしたが、前回同様、非常に楽しませていただきました。「松尾芭蕉」はもうスタンダードですな。

スケルツォでググッても昨年は殆どヒットしなかったけど、今回は結構ブログに感想書いている人がいるようで、うれしい限り。

【スケルツォを観にいった皆さん】
http://app.blog.livedoor.jp/genji610/tb.cgi/29239868
http://blog.livedoor.jp/ri0le0/tb.cgi/29173698
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by turujun | 2005-07-25 23:59 | アート

3年2組

 ちょっと前のことになるけど、MIKUNI YANAIHARA Project「3年2組」を吉祥寺シアターで観た。大通りをちょっと入ったところにある劇場で、劇場を出てすぐのところに併設のカフェがあったりして、ちょっと市立の劇場とは思えないこじゃれ感があり、なかなかよい感じのところだった。そしてそのカフェでは安藤洋子がお茶していた、と思いきや、明るいうちから軽ーく飲んでいたようである。おっと。

「3年2組」は、その仲間達のとりとめのない日常の様子に、彼らが成長してからのちょっとした出来事が挿入されていくような形で進むが、起承転結のあるものではない。そういう意味ではチェルフィッチュ的といえるかも。でもこちらの台詞はもっと演劇的。
 「3年2組」は、作・演出の矢内原美邦からすると、「演劇」のようなのだけど、私はこれを「ダンスだ」「ダンスだ」と言い聞かせて観ていた。そうでないとストレスフル極まりなかったから。
 何でそう思うか、というのは、役者の言葉の発し方のせいだ。全てがそうではないのだが、一部役者がとんでもない速さで台詞を言い合う部分がある。何を言っているのか分からない役者がいる、ということ、そしてそれが全員ではなくある役者達だけであるということ、そしてその違いが演出上の意図的ではなく、役者の技量によるということが分かることがどうにもストレスになって仕方なかった。特に前者が言っていることを受けて後者が何か言う、という場面でそれがマックスになった。
 十代の頃というのは、人生の中で一番苛烈な時期、ということを河合隼雄の本か何かで読んだことがあるが、演出側が早い台詞で表現したいことは、そういうことなのであって、「聞こえなくする」は結果の一部にすぎないということは分かる。でも、演劇はからだもあるけど、「言葉」の存在を無視するわけにはいかないわけで。言葉をコントロールすることにもっと気を配ってもよかったのではないかと思う。
 こんなことを思い、私の中で演劇において「言葉」がいかに重要かを認識してしまった。

 愚痴めいたことを書いてしまったが、さらに愚痴めいたことを。
 今回は、ニブロールではなく、ダンスでもないらしい。でも私にとっては、これは演劇ではないし、ニブロールでもないとは思えなかった。というのは、今回は、衣装と音楽がそれぞれニブロールの人ではない人が担当しているのだけど、いつものニブロールのものとの違いがはっきりしないというか、矢内原美邦の好みに寄り添っている感じがしてもったいないと思った。もっと衣装デザイナーとして、音楽担当として提案が出来たらもっと違ったものになったと思うのだが、どうなのか。(職人としての仕事に徹したということなのだろうか?)

 いろいろ書いてはいるけど、面白かったと思っているんですよ、これでも。
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by turujun | 2005-07-20 13:04 | 演劇

物欲

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by turujun | 2005-07-11 18:37 | その他

トヨタ

昨日、中目黒の某カフェに行ったら、そこが六月末で閉店していた。再開発のためらしい。そこには三ヵ月に一回所用あって行っていたが、いわゆる「カフェブーム」の火付け役のひとつともいえるところだっただけに、びっくり仰天。開店から閉店まで7年。その間人気カフェの一つとして、またお洒落な街「中目黒」の象徴のひとつとしてかつては何度となく雑誌に取り上げられた場所なのに、終わるときは実に静かなものである。実際店ってオープンするときは派手なのに閉店するときはたいてい静かなもので、「○月○日で閉店します」と告知するところはまだ良くて、休みなく営業していたところが不定期に休むようになり、それが徐々に長期化し、ある日その店に解体業者がやってきてまったく別の店に生まれ変わっちゃった、なんてこともままある。例外といえば映画館には「さよなら上映会」みたいなのがあったような気がするが、それだってよほどの歴史と人気があればのことだ。
たいていの場合「閉店」≠「敗北」ととられがちだ。だから店じまいをするときは淋しくまた切なくあるけど、それを振り切るようなポジティブな店じまいがあっても良いのにとか思った。
そんなことを考えながらトヨタコレオグラフィーアワード最終審査会を観たが、おもしろかった。結果はどうであれ、お得だよね。
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by turujun | 2005-07-11 08:41 | ダンス

ファンタジーとか

 THE SHAMPOO HATの「事件」を観た。ここの舞台をみるのは「肉屋の息子」以来。これまでになくそれぞれの場面にメリハリがあって、今まで観た中で一番分かりやすかった。こんなに輪郭のはっきりした話をつくる人たちだったかなー、静かな演劇への決別か?とさえ思った。
 セットもありそうでないようなもの。全然違う場所にある一室を3列×2段に並べたようなもので、いろいろなものがちまちまっと置かれているあたり,リカちゃんスーパーを思い出させる。でも男の一人暮らしの部屋とかスーパーの事務所とか、見た目結構きたない。
 
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by turujun | 2005-07-05 10:55 | 演劇

夏の夜

祖師谷大蔵のカフェでハンバートハンバート&TICO MOONのライブに行ってきた。我ながら受け身で済むことにはフットワークが軽い。会場のカフェは商店街の中のビルの屋上にプレハブ小屋を建てたと思しきもの。半分はテラスになっていて、これからの季節、日が暮れてからここでビールとか飲んだら気持ち良さそうなのだ。一方、室内はトタンを板でカバーしてあり、微妙な手作り感が漂っている。エアコンはない。でも窓から吹き込む夜風で十分涼しい。そして蚊取線香の香りで夏の気分が盛り上がる。
一番手はTICO MOON。アイリッシュハープとギター他によるインストのユニット。もちろん初見。すべての曲がとても穏やかでアイリッシュハープの音が繊細にキラキラしていてうっとりして聞いていた。それらを演奏する姿勢も真摯そのもの。そのせいかMCは不器用に聞こえるけどそれだけ音を聞かせたいということなのかも。音楽の世界にも自分のスタンスを大事にして活動しているのだなぁ、と解釈。子供のお昼寝どきに合いそう。さて、二番手はお目当てのハンバートハンバート。二人でささっと出てきて、合間に噛み合っているようないないようなMCをはさみつつ、歌を歌っていく。男性の方はメインがギターでバイオリンも少々。歌声はどこかで聞いたことがあるような気がしつつも、押しつけがましさがまるでない良い声。女性の方は、リコーダーや見たことのない打楽器を演奏しながら歌っていた。その声はとても澄んでいて優しい。「礎」のときにもそれは思ったけど、目の前で聞いてもその印象は変わらない。この日の曲は彼らのオリジナルに加えいくつかの
カバーを演奏していた。そのなかの「アフリカの月」という曲がどうにも良かった。最後はTICO MOONとハンバートハンバートのセッションで終了。癒された~。

 以下、このライブを見て思ったこと。小さなカフェでのライブで「今日はいっぱいですね~」とヴォーカルの女性が口走るあたり、小規模なライブが多いような彼らのお客さんはやはりお友達関係が多いようだった。最前列にいた人はライブ中にハンバートの2人ときさくに話をしていたので、明らかにそうだろう。だからといって居心地が悪いはずもなく、至極気持ちよくライブを楽しむ事ができた。友達に対しても、はじめて来た人に対しても、オープンなライブだったと思う。
 小規模であると演劇でも、音楽でも、友達関係のお客さんが多くなるのは、同じのようだ。その中で、音楽でも演劇でも差がついてくるところがあるとしたら、その人たちとそうでない純粋な「お客さん」をどう扱っているかというところだと思う。ずいぶん前の話だけど、職場の人に誘われ、その人のやっている劇団の公演を観にいったことがある。それは作品の内容が超!内輪受けで、終演後に劇団員とその友達同士でなんだかやたらと劇中のネタで盛り上がっているのを観て、私は「こんなだったら友達以外の人に『観に来て』なんていわなければ良いのに」と憤った。(この劇団はいまだにあるみたいだけど、普通に観劇している中でその名を聞かないあたり、内輪うけどまりのようである。)何でこんな話を書いているかといえば、演劇であれ、音楽であれ、客層を広げたいならまずどんな客に対してもオープンであることが一番大切だということをいいたいからだ。作品の好き嫌いは人それぞれにあると思い、それは仕方ないと思うが、それ以外の部分では、知っている人であれ、知らない人であれ、同じようにその場にいることができなければ後者の人は居心地がわるいというだけで、その公演には2度と足を運ばないだろう(まあ、作品がよっぽど気に入っていれば行くだろうけど)。だから創り手(というよりこの場合は制作サイドということにもなるのかな)にはそういうことを大事にしてほしいなあと思う。
 余談の余談だけど、ダンス系のイベントとか公演って、演劇よりこの傾向が顕著な気がする。
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by turujun | 2005-07-05 08:43 | その他

スローミュージック

 昨日、青山円形劇場でダンダンブエノ「礎」を観てきた。その話はまた後でするのだけど、劇中でかかっていた曲にすっかりやられている、という話をいまする。
 歌っているのは「ハンバートハンバート」というユニット。「スローライフを愛する新婚夫婦の歌う歌」という雰囲気で、心に沁みた~。
 で、「礎」は今日が千秋楽なのだが、ハンバートハンバートもライブを行う?らしい。(HP参照) (終了しました)
 それにしても、それを期待していくわけではないところで、意外な出会いがあるというのはすごくうれしい。7月2日に彼らのライブがあるらしいので、行ってみようかな、と。

 
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by turujun | 2005-07-01 12:25 | その他