舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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<   2005年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

知識

 私は、もっぱら金銭的な制約から、極力週末シアターゴーアーに徹したいと思っているのだけど、そうもいかないときもあり、昨日、三軒茶屋は世田谷パブリックシアターにフォルクスビューネ「終着駅アメリカ」を観にいった。
 私はドイツ語に暗いので、フォルクスビューネなんていい響き、と思っていたら、意味は「民衆劇場」らしい。へぇぇ。このことを知ったのは、このブログなんですが、この他にも、タイトルのことや、この作品にまつわるあんなことやこんなことの他、レビューが載っているので、参考にしてみてください。
 さて、タイトルに関する件については、この作品ではないです。この作品は面白かった。多分、元になっている戯曲を知らなくとも、目の前で起こっていることそのものに対して、充分な面白さを感じられる作品だと思う。私は以前、「欲望という名の電車」を観ていたので、この作品がどう戯曲を解体し、何を加えていったか、というあたりに発見がいろいろあり、かなり楽しく観た。そして演劇を面白く観るためには、それなりの勉強が必要なのかもしれない、と思った。そういえば、私の学生時代には、戯曲を読む、ということを国語・英語ともにしていなかった。もし高校までの間にスタンダードといえるような戯曲を1つでも読んでいれば、たとえそれが「読まされた」と認識されたとしても、それを元にした作品を観たときに観方が違ってくると思う。(演劇に対してあく印象をもたれて終わりになるかもしれないけど)今の学校ではどうなのでしょうね?総合学習で実際に演劇を作ることはあるみたいだけど。
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by turujun | 2005-03-28 12:00 | 演劇
昨日観に行ったダンス公演でのこと。休憩時間に私の斜め後ろにすわっていた男性が、「これの言わんとしていることが分からない」「こんなだったらミュージカル観に行きたい」「テレビとかCMみたいに分かりやすくなきゃ意味ない」とさかんに連れの女性に愚痴っていた。それは確かに抽象的かつ掴み所のない作品ではあったので、気持ちは分かるのだが、その一方で、あまりに感情的な物言いで、連れの女性がたいそう気の毒だった。
その作品がどうであったかはさておき、私が気になったのは、彼の怒りは、作品の出来不出来ではなく、目の前で展開していることを自分が理解できないことに対してであること、そして自分が分からないということゆえに、目の前の作品を否定もしくは拒否しているということだ。
 世の中には「わかっているべきこと」「分からないでは済まされないこと」が山とある。そんな中で、舞台芸術は、良し悪しだけで切り分けるのではなく、その間や周りにあるさまざまな反応がそのままに受け入れられる数少ない場なのではないか。何かの舞台を見て「面白い」と思う。「つまらない」と思う。「かっこいい」と思う。「ダサい」と思う。これらの明確な反応と同じように「分からない」と思うのも、私的にはありだ。だから、「分からないこと」を否定的にとらえるのではなく、それはそれと受け入れてもらえると良いのだが、どうでしょう?観客が舞台について語るのは、自由だけど、それが感情的なものであることは、創造的な面で何ももたらさないばかりか、周りの人を傷つけたり、イラッとさせたりするだけなので。
  この件でもう一つ思ったのは、「分からない」ことに対する恐れ、それは作品を見て何かを恐れるというよりも、「分からない」事実が他人からの自分の価値を下げるとか、自尊心を傷つけられるのではないかという方向での恐れがあるのではないか、ということ。これについては、なかなか微妙。心理学の世界だと、こういうことは割と研究されていたりするのかしら?
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by turujun | 2005-03-28 08:44 | ダンス

2000人の村

  3週間ぐらい前に予約の電話をしたら、「もう一杯です」といわれた「リンゴ企画 近藤良平チャレンジ」。当日もその日あった人に「今日の夜のチケットはない」と言われながらも、当日券狙いでセッションハウスに行ってみれば、何のことはない、あっさりと入ることができ、しかも結構席が余っていたりする(風説に比べれば、という意味で)。大抵の舞台はそんなものだ。
  今回は、共演者がある意味豪華。木佐貫邦子はダンサーだから分かるが、長塚圭史は演劇人だし、篠原ともえは芸能人。
 でも、やっていたことは、コンドルズでやっていることと基本的には変わらない。ブランドロゴ・マークの身体(顔)表現あり、人形劇を含むゆるめのお笑い路線ダンス。でも長塚圭史といい、篠原ともえといい、うまいというか器用なので、きっちりこなせてしまって、きれいにまとまっていた。それゆえ物足りないと感じる部分もある。でも特に篠原ともえは、ちゃんと踊れる。そのことにびっくり。そして表情がころころと変わるのだけど、それがどれもチャーミング。(ニカッと笑うのを除いて。)芸能界で10年も活躍しているしているわけだし、やはり普通の舞台の人とは違うのかも。

 コンドルズの公演も女性客が多いが、今回の客席は95%が女性で残り5%のうち何人かはコンドルズもしくは長塚圭史の関係者というすごい状態。そんな中でいつもダンス公演で見る顔もちらほら。この「ダンス公演を観にいくと、おなじみの顔がある」という状況は、演劇の公演だとあまりない。たまたま席が隣り合わせになった友達にそう言うと、「東京のダンス人口は2000人」という説がある、という話を教えてくれた。これはダンスをやっている人の人口なのか、それとも観客の人口なのか、はたまたダンサー+観客の人口なのか、定かでないところが惜しいが、ぱっと聞いた感じ、「そうかも」と思わせる響きがある。それぐらいダンスって一部の愛好家もしくは関係者のもの、って印象がある。
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by turujun | 2005-03-26 19:00 | ダンス

3連休観劇記録

 先週末から今週頭にかけて観たものたちについて。
3月18日(金) 「踊りに行くぜ!」@天王洲 スフィアメックス
3月20日(土) チェルフィッチュ「ポスト・労苦の終わり」@横浜 STスポット
3月21日(祝) 昼にマリー・シュイナール@渋谷 シアターコクーン(コクーンでダンス公演は珍しい気がする…)
         夜 DA・M「はっぷぴいばーすでいHap Py Birth Day」@高田馬場 プロトシアター

 節操のないラインナップですね。自分で言うのも何ですが。
 それぞれに思うところ、書きたいことがあり、それらはおいおいアップしていきます。
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by turujun | 2005-03-22 12:56

暗黙の了解

 思えば今回がはじめての「踊りに行くぜ!」鑑賞、しかも出演者5組中3組初見だったが、日ごろよく見る機会のある東京や関東以外の地域のダンサーの作品を観られる機会はそんなにないので(ダンスを見るために旅に出る、はさすがにまだしない)非常に興味深く観た。以下、それぞれのダンスに対する一行レビュー的なもの。
中島由美子「とべた、とべたよかあさん」
 今回、チラシを見た中で一番興味があった人。出てくるなり一筆書きで人がトコトコ右側から左側に空中を駆け上がっていくイラストを描いて、それのまねをするごとく、ダッシュしてジャンプするところから始まって、最後に駆け上がっていく人の足元に階段を書き足していくラストまで、予感どおり、面白く見られた。特に気に入ったのが、女性ボーカルの曲に合わせて、イラストの真正面にヒザを付いて上半身だけで踊る場面。踊るというよりも、幼稚園のお遊戯のような歌詞に合わせた動きなのだけど、歌のシリアスなイメージとその素朴とも稚拙とも取れる動きが微妙なギャップを生んでいた。身体表現サークルもそうだけど、この人も「ちょっと踊ってみました」風のチラシのコメントであり、作品のテイストでもある。ダンスに真剣に取り組んでます!というのに対して照れがあるのかしら広島の人々は、とか思ってみる。
星加昌紀「帰還者」
 動きのバリエーションがいろいろあって、作品中で使う小道具に缶コーヒー「Fire」があって、何でかと思えば、後半部分での「駄洒落」だったりと、小ネタも挿入され、飽きずに見られた。だけど、心に何か一つでもひっかかるものがあるかというと、それはなかった。アクがないというか、すっきりしているというか…yummy danceを観たときに感じたことと同じようなことを今回も感じていた。東京でも松山でも、それぞれ創り手は「自分ならではの作品」を作ろうとするものなのだろうけど、互いの作品を観ているうちに、だんだんダンスを作るうえでの暗黙の了解みたなものができてくるのだろうか?そしてその暗黙の了解のない私は、そのダンスのコアに迫れないのだろうか、などと思ってしまう。
大橋可也&ダンサーズ「あなたがここにいてほしい」
 知り合いから、この作品に対する猛烈にネガティブなコメントを聞いていたこともあり、相当に身構えていたが、実際に見てみれば、そんなに構えなくても問題なく観ることができた。タイトルと作品が緊密に結びついているという点で、観ていて「?」とならない作品。この人は「ハードコアダンス」らしいが、何がハードコアって、「音」。創られた轟音。でも、ダンスと一緒にそこにあると、意外と平気。むしろ「このダンスにはこの音!」と思えてしまう不思議。「ハードコアダンス」でいいのか。
福島まな実「夜島」
 この夜かぎりのあがた森魚との競演と聞いて、興味津々。いつあがた森魚が歌うのか、どう歌うのか、ということばかりが気になっていた。つまり、これはチラシ上ではあがた森魚と「共演」となっていたが、実はそんなに生易しいものではなく、ガチンコ勝負ぐらいシビアなものだったのではないか、と思う。下手よりに置かれた楽器を中心に展開される、ゆったりとしたたたずまいのあがたワールドの前には、福島のダンスは、少々大雑把で、舌足らずであるように、思えた。
天野由起子「コノ世ノ」
 この人は第1回トヨタコレオグラフィーアワードで1度だけ観ている。

以下、続く。
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by turujun | 2005-03-18 19:30 | ダンス

チラシ(執筆途中)

 この前行った五反田団「キャベツの類」でもらったチラシの束に見つけたフラジャイル「塔」のチラシ。その中に「岸田國士戯曲賞最終候補…」という文言があった。「~候補」ということは、「受賞」したわけでない。それを宣伝文句に使うのはどうなんだろう?と思った。確かに岸田國士戯曲賞といえば、若い(必ずしも受賞者が若いとは限らないが)戯曲家の登竜門的存在。今活躍している戯曲家にはこれを受賞している人が多い。というわけで、「候補」にはいることは確かにすごいことではあるけど、「候補」を自らアピール材料とすることに対して、私はちょっと抵抗がある。むしろ「受賞できなかったのね」と思って、引いてしまう。一般的な考え方はどうなのか分からないけど。
私としては、作者の経歴で興味を持たせるよりも、上演する作品世界をアピールするようなビジュアルやコピーを工夫した方が、もっと効果があると思う。
  
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by turujun | 2005-03-18 12:53 | こころの旅

いざ、渋公!

 中学時代、まさに「イカ天」全盛期だったのもあり、人並みに「ロック」とやらを聴いていた頃もあった私だが、オーディオ機器らしいものが部屋になく、CDはPCで聞いているような現在、「ロック」は青春の思い出の一つと化している。
そんな私が、日本におけるロックの聖地の一つである渋谷公会堂に行ってきた。目的は、コンドルズ「Jupitor」。面白かった。座っていたのは2階席。これまでのコンドルズ歴で一番ステージから席が遠い。でもそのせいか、ダンスそのものをこれまでにないほどに観ることができた、ような気がする。そしてここから観たコンドルズは「ロック」だった。「ロックで踊るダンスカンパニー」ではなく、コンドルズである、ということがイコール「ロック」、なんである。
 コンドルズは今あるコンテンポラリーダンスシーンのほかのダンサーやカンパニーと明らかに違う。ダンサーの実力には明らかにばらつきがあり、ダンスのクォリティは一見そんなに高くはない。だが、近藤良平的にはダンスの世界における「うまさ」ではなく、意図的に個性的な体と身体能力をもったダンサーを配置することで、荒削りで、勢いのあるダンスを狙っているのだろうと思う。つまり、コンテンポラリーを含むダンスの主流をクラシックとするならば、近藤良平のダンスは「ロック」なわけで。もっと言えば、コンドルズはコンテンポラリーダンスシーンに対する批評として存在しているのではないか、なんて思ったりもした。(考えすぎか?)今でこそ、第4回朝日舞台芸術賞寺山修司賞を受賞するなど、近藤良平単体としての評価は高まっているものの、コンドルズそのものに対するレビューや紹介文に留まらない評論はいまだ読んだことがない。前述の考え方からすれば、従来のダンスに対する批評の視点では、コンドルズに対するまっとうな批評はできない、というのはあると思うけど、もうそろそろ近藤良平のホームグラウンドともいうべきコンドルズに対するまっとうな批評が出ても良い頃なのでは。

 蛇足だが、中盤の後半よりのダンスパートで使われていた曲はエゴラッピンではないか!?コンドルズで女性ヴォーカルの曲を使っているのを観るのは(私は)はじめて。それがエゴラッピンとは!勝山さん、ナイスチョイス!
 そしてコンドルズもいいけど、エゴラッピンも最高だ。ひさびさにライブに行きたくなった。
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by turujun | 2005-03-15 19:00 | ダンス

トリプルミーニング

  日曜夜の回で会場は立ち見が出るほどの超満員。この劇場でこれだけ混むのは、毛皮族以来だ。毛皮族はそれ以降観ていないが。
 駅前劇場でのロリータ男爵とEHHEによるダブルブッキング公演は、構造としては、ロリータ男爵の「He meets girls」があって、そこにEHHEが絡んでいき、随所で単独コントを繰り広げつつ、作品の中にも取り込まれていくようなもの。そのメインのストーリーは、昔の魔法使いを主人公にしたアニメ+マンガおたくワールド。マンガおたくのやりとりの言葉遣いやせりふを観て聞いていると、かなりステレオタイプな感じがする。一方で、ロリータ男爵の作風自体、いわゆるマンガおたくの世界との親和性もあるように見え、それを自覚しているようでもあるので、マンガおたくを揶揄するような場面では自虐的に感じられた。ちょっと自分も痛い!みたいな。
 EHHEは、…下ネタ85%。コントとしてもあまり笑えない。どちらかといえばロリータ男爵の作品の中のパートの方が3人とも活きている気がした。
 
それにしてもロリータ男爵と野鳩ってスタイルが前者はミュージカル形式で後者は演劇と差はあるけど、志向しているものは似ているように思ったのだけど、どうでしょう??
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by turujun | 2005-03-13 19:00 | 演劇

天王洲詣で

 こんなときもある、という感じだが、ついこの間金森穣を見に行った天王洲アイルに、今度はガーディアンガーデンフェスティバル出演の「野鳩」を観に行った。連続して天王洲にいくというのは私の人生で初ではないだろうか。
 「えんげきのページ」で最初の頃は賛否両論喧喧諤諤だった野鳩。それだけに興味はあった。
会場に入ってみると、目の前には、あら、懐かしい。中学校の文化祭を髣髴とさせる体育館の舞台の上につくったような手作り間あふれるセットが。そして客席は段差無し、座布団敷きの桟敷のみ。ますます文化祭。
 話としては、中学生の男女の甘酸っぱい恋物語。初恋のドキドキ感、ライバル登場でハラハラみたいなラブコメディプラス主人公の男の子が目が覚めたら女の子になっている…というようなファンタジーありな昔の漫画(といっても最近の漫画ってそんなに読んでいないので、単純に今の漫画と比較はできないけど)にありそうなもの。それを役者が「ドラえもん」の中でしか見られないような身振りで演じている。
 結論から言うと「面白い」のだが、それは私がチェルフィッチュや五反田団に感じるような「面白さ」とは種類が違う。先にあげたような劇団には、観る者の思考を誘うような余地があるが、野鳩の今回の作品にはそれがなかったように思う。
 というわけで、次回も必ず観にいこう!とはちょっと思わないのだけど、たまに観て、どう変化するか確認してみたいな、とは思う。私としては、シェークスピアとかいわゆる古典をこの人たちがやる、というのがあったら観にいくかも。
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by turujun | 2005-03-07 09:18 | 演劇

メシ・サケ・アート

アートノヴァにはかつて一度だけ行ったことがあるが、さっきまで舞台で踊っていた人が、いま客席で友達と一緒に食べたり飲んだりしながら別の人のパフォーマンスを観ているような、よく言えばフランクな、別の観方をすれば、身内ばかりのパーティに紛れ込んでしまったような肩身の狭さを感じて、その後足が遠退いていた。だが、今回の「専門家セレクション」に神村恵が出ると聞き、意を決して足を運んだ。
会場に到着したのは午後八時を回った頃。この時点でパフォーマンスは半分ぐらいまで進んでいて、観るのを諦めようとも思ったが、トークもあるし、ということで観ることにした。中に入ると正面にステージがあり、神村が猫背気味にドシン、ドシンと足音をたてながら歩いている。時計まわりにしばらく前進していたかと思うと、後退する。かと思えば体を翻し方向転換する。普通に歩いていたはずがいつのまにかステップめいた足取りになる。そんなさまざまな足の動きのバリエーションが不規則に繰り広げられていくので、真剣に観ているつもりでも、ふとした瞬間にそのダンスを見過ごしてしまうんである。いってしまえば「それだけ」のダンスなのだが、上半身にたいした動きがなくとも、目のはなせない展開が可能なのか、と驚かずにはいられない。つくづく前半を見逃したことを後悔してしまうのだった。
パフォーマンスの後、ダンス批評家の武藤大祐氏とのトークは、ちょっと段取りぽく感じられもしたが、神村のダンス創作の素を垣間見られて良かった。もう少し話が盛り上がって思いもよらないほうに話が展開してもおもしろいのだけど。
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by turujun | 2005-03-01 10:06 | 演劇