舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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三段梯子 三段目

夕方はグリング。名前は知っていたものの、今回初めて観た。今日が千秋楽。当日券で観た。
 舞台は原子力発電所のある町のストリップ劇場の薄暗い事務所。そこに集まる人たちは、いろいろな過去を持っていたり、家庭に問題があったり、ちょっとズレているところがあったり、変わった趣味があったりするものの、基本的に普通の人々。物語はストリップ劇場で働く藪木という男性と、そのストリップ劇場に代役として婚前旅行中に急遽やってきたストリッパー・立花 亜矢(婚約者付き)を中心に、小さな出来事がさまざまに発生、絡み合いつつ、その二人それぞれが人生の決断を迫られる…というお話。
 
 良くも悪くも、作り手の実感や実体験が反映された作品だと言える。例えば、主人公の男・藪木がかつて大阪で劇団の作・演出を担当していて、TV番組の脚本も手がけていたということで出てくるエピソードやセリフはかなり脚本担当の青木さんの実感が入ってきているのではないかと思え、それが私にとっては、安易なものに感じられる。その一方で、劇中、「ストリップを『自分の表現』だと思ってやっている」と言う亜矢に対して、ストリップ劇場のベテランストリッパー 三代目 葵が「ストリップなんて日銭稼ぐ為にやってるんだよ。(中略)お客さんに、「すごいですね」「お金払ってでも観に来たいです」、って言われて初めて『表現』っていえるんじゃないの」という台詞は、これまた実際に表現に携わっているからこそ出てくる言葉なのではないかと。こちらはこの周辺からクライマックスに向けてのどの台詞よりも説得力があるものだった。
 
 ストリップ劇場なんて行ったことがないので、ディテールについてはよく分からないものの、大人計画「春子ブックセンター」の舞台セットもなんだか古ぼけた空間だったので、実際の作品のテイストはまるっきり別物とはいえ、ストリップ劇場の裏側ってこんな感じなのかな、などと思う。また、常連の観客ってこんななんだ、とか常連同士の暗黙のルールみたいのは、どこにでもあるのね、とかそんなところが盛り込まれていて、話とは全く関係ないものの、興味深い。
 
 この劇団の作風は、SHAMPOO HATに似ている。この系統の演劇を最初に見たのがTHE SHAMPOO HATだったというのがあるせいか、明日図鑑をみてもグリングを観てもそう感じてしまう。順序が違えば感じ方はまた違うのかもしれないけれど、その違いを云々するのは、あたかも重箱の隅をつつくようで、どうなんだろうと自分で思ってしまうので、この辺で止めておく。
 ちなみに、この作品は「演技者。」で取り上げられたらしい。どの人がどの役で出ていたんだろう。その辺りもちょっと気になる。そして「演技者。」関係者はこういう静かなものが好きなのだろうか。TV番組にしやすいというのはあるかもしれない。
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by turujun | 2004-10-24 17:00 | 演劇

三段梯子 二段目

 KAKUTA「ROOT BEERS」が終わると同時に、明石スタジオをでて、今度は北口は高円寺純情商店街と平行している通りにある「Disco Girl」というギャラリーでの中村公美のパフォーマンス「景」を見た。
 会場に入ると、階段があり、階段を昇るとすでにパフォーマンスが始まっていた。当たり前だ。「Root Beers」が終わったのが、15時、パフォーマンスの開始も15時なのだから。
 このギャラリーは、模様のついたガラスで周りを囲まれた2階建ての家ぐらいの高さのある箱のようなビル。その中は階段と踊り場でできているといっても大袈裟ではないくらい小さなギャラリー。入り口を入って階段を上がると、まずはじめの踊り場があり、そこが受付。チラシを数枚受け取ってさらに階段を上ると2番目の踊り場の壁にモノクロ写真がびっしり貼られている。さらに階段を上っている途中で、中村が踊っているところが目に入った。パフォーマンスを良く見るには、階段を上りきって3番目の踊り場に場所を取ったほうが良いのだが、既にそこには先客が何人もいて、真剣に観賞モードに突入していたことから、そこに割り込む勇気がなく、階段の半ばの中途半端なところで最後まで見てしまったのだった。
 黒い裏地のついたえんじ色のノースリーブのワンピースを着た中村は、階段を登ったり降りたり移動しながら、モノクロ写真のプリントアウトを手に、腕を上に伸ばして、クルクルと回っていたり、手のひらで自分の鼻を押し上げたり、口元を手の甲でゆっくりとぬぐったり、その手の甲を自分の体に沿わせていったり、写真を手にしてそれをごく小さくなるまでひねりつづけたりする。こう動作だけ書いていると、退屈そうだな、よくそんなの1時間も観ていられるな、って感じだが、実際に観てみると、退屈なことなんて全然無くて、中村公美の体の動きに、「ほほー、そうきたか」と小さな発見をしながら見入ってしまっていた。彼女の体から生まれてくる動きの連なりはその前の動きと関連していて、一つの動きが体のある部分で行われている同じからだの別のところで、新たな関わりをもつ動きが生まれてくる。体は同じように動きつづけているものの、いつまでも同じでありつづけることなく、変化していること。それが私にとって興味深かった。しかもそれはずっと関連しながら繋がっていくのではなく、ときおり、手の甲を足に沿わせていたかと思うと、突然ペシッとその足をたたくような、違う動きがアクセントのように入ってきたり、突然音楽が流れたりして、
 彼女の今回のパフォーマンスは、何か表現したいことがあって、それを体を使って表現する、ということとは違って、体そのものがテーマなのかな、と思った。例えば手の甲で口をゆっくりとぬぐう動作であれば、そうすることで、どうやって口が歪んでいくか、顔のほかの皮膚はどう動いていくかが見えてくる。それは創り手である中村の体の外見の変化についての考察の提示と言えるのではないかと。いわば自分の「もの」としての体と自分の体を動かす「意識」の対話と、その成果のプレゼンテーション。そこには狙われたドラマもクライマックスもないのだけど、その体から発想されたであろう動きの一つ一つが、私の何かをくすぐりつづけているのだった。
 
 余談。仮にこれが劇場の舞台上で上演されて、私が客席で観ていたら、多分寝ていた。今回中村公美の体の動きの面白さを感じられたのは、ひとえに手を伸ばせばダンサーに触れるぐらいの(触らないけど)至近距離で観ていたからではないかと思う。それを思うと、作品のクオリティと公演のスケールというのはかならずしも比例しないな、という当たり前のことを再認識してしまった。
 
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by turujun | 2004-10-24 15:10 | ダンス

三段梯子 一段目

今日は、昼に高円寺でKAKUTA→中村公美、夕方にグリングを見た。1日に3本公演を観るのも初めてだが、そのうち二つは初見で、KAKUTAも本公演は初見なので、やたらと忙しい上に、初見揃いである。

 KAKUTA「ROOT BEERS」は、アメリカのとある韓国人系アメリカ人の経営する安モーテルが舞台。敵対する組の組長を暗殺するために、先回りしているとあるヤクザの兄貴分である二堂が、自動車事故に遭って記憶とヤクザとしての人格を失い、拳銃にビビる気弱な人間になってしまう。戸惑う部下たちを尻目に、記憶を失う以前に拉致監禁していた事故の加害者と垂れ込み屋と心を通わせるようになっていき、3人でモーテルを脱出し、アメリカに住むという妹のところへ行こうとする。だが、逃げようとしている最中、二堂は記憶を取り戻し、暗殺の現場へと向かっていく…という話が、ヤクザの仲間達、安モーテルに集う人身売買斡旋人の男やその男が連れている韓国人の姉弟、手下の彼女、モーテル経営者の韓国系アメリカ人、アメリカにおける何でも屋などの出会いと別れを交えながら進んでいく。桑原裕子の脚本は、一人ひとりのキャラクター設定が明確で、しかも全てのキャラクターの見せ場となるような、ほんわかしたり、しんみりするエピソードが用意されている。しかもそれらがばらばらにあるのではなくて、それぞれのキャラクターの結末にきっちりと結びつけられていたことに上手さを感じる。また、今回の作品のメインがヤクザということもあって、前回までの「ムーンライトコースター」「女の夜」に感じられた女の子テイストがあまり感じられず、かといって、こてこてのヤクザ映画みたいなところは微塵もなく、私にとっては、かなり観やすい仕上がりだった。
 すごいなー、と感心したのは、役者の役作り(外見)。ヤクザ役の人はパンチパーマをあててる人や眉のない人がいたりと、舞台以外の日常生活で変な因縁つけられていなければよいのだが、と思いたくなるほど徹底。女性陣も、「演劇やってます」で逃げ切れるのだろうか、というほど派手な髪の色と、ケバいメイクでいかにもその筋の関係の女。どちらかというと、女性陣の方がその姿が板についていたように思えるのだが、どうかしら。
 韓国人姉弟が、韓国語が分からない私には韓国人らしく見えるぐらいリアルな「中途半端な日本語と英語を話す韓国人」になっていたことにも驚いた。この人たち韓国人?日本人?と当日パンフを何度も見直してしまったほど。作品中に韓国人姉弟が喧嘩する場面があるのだけど、それが全て韓国語なのも、リアル。しかも字幕無し。ちなみに、この人たちは、終演後の物販エリアで片言の日本語で売り子をしていたことも付け加えておく。
 舞台セットはいかにも安ホテルの一室といった安っぽいアジアンテイストの部屋と、壁を隔てた廊下・階段。壁には下手の方に普通の窓が、上手上方に丸窓があり、劇中これらを上手く活用した演出が見られて、なかなか楽しかった。ちょっと作り物っぽい感じは否めないが、それも場所の設定上、味といえないことも無い、ということで。
 
 これまでリーディングも含め3作品を観て思ったのは、KAKUTAの作品は、アバンギャルドでも前衛でもなく、安心して観られるものだな、ということ。役者の演技には安定感があり、演出も演劇くささを感じさせないものの、適度に直球。しかもストーリーも、テレビドラマのような「元気をもらえる」的な安さは無いものの、決して観る人を不快にさせたり、裏切ったり、傷つけたりする類のものではなく、「交いう瞬間、いいなあ」と思えるようなものをちょっと含んでいたりして、観る側にとって受け入れやすいものになっている。演劇好きの人が演劇をあまり観ない人を誘う時に良さそうな劇、といったところかな。

明日以降、他の2本についても書きます。
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by turujun | 2004-10-24 13:00 | 演劇
一昨年の初演に引き続き、二兎社「新・明暗」を観にいってきた。
 キャストは全員初演と同じ(だと思う)。キャストも鴨川てんし以外は全て前回も出演していた人。前回の時には、主演の佐々木蔵之介のオーラにやたらと当てられてしまったのだが、今回はそうでもなかった。だいたい同じことをやっているのに、何故。彼を取り巻く状況が変わったからだろうか。それだけではなく、小林役の下総源太朗にも、初演にあった切れや迫力がなく、残念。全体的に初演の方が良かったような印象が強い。通常の「再演」というのは、こんなにも新鮮味の無いものなのだろうか、と思ってしまった。その中で女性陣は皆良かった。特に木野花は、前回は辟易する瞬間があるぐらい濃口だったのが、今回は良い感じに軽味があった。
 
ただでさえ印象の強くない作品だったのに、その後新潟を襲った地震のことを知り、新潟に先輩が住んでいることを思い出すにいたり、その地震は他人事ではなくなると同時に、「新・明暗」の影はさらに薄くなった。先輩は大丈夫なのだろうか、と思うにつけ、舞台芸術は多少なりとも平穏が戻ってきてからはじめて求められるものなのだなあ、と痛感せずにはいられない。新潟の皆さんの一日も早い復旧をお祈りしつつ、何かお手伝いできることはないものかと考え中。
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by turujun | 2004-10-23 14:00 | 演劇
 ひょんなことから、「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」のマスコミ試写会に潜りこんできた。
 もらった招待状を読むと、いかにも「泣けますッ」的なコピーが並んでいるので、どれほどのものか、と思って会場に入ると、事務的にパンフ他を受け取る。私の前と後ろの人は業界の人らしく、配給会社の人に熱心に話し掛けられていた。この雰囲気がいかにも一般向け試写会とは違う感じで、潜り込み組の私はかなり肩身が狭い…。

 この映画は、倹約家の父親と2人暮らしの少年モモと、彼の家の近くで食料品店を営む年老いたトルコ人イブラヒムとの交流を描いたもの。チラシから感じられる「心温まるヒューマンドラマ」「涙誘われる感動作」というものを期待していくと、少々期待はずれに感じられるかもしれない。間違っても、「泣くために観る」というのであれば、これはその目的を果たせる映画ではない。
 でも、そういうものを期待するのではなく、ヨーロッパ人の人生観とかイスラム系の人々の人生観ってこんなかんじなのかな、という意味では興味深い。また、主人公のモモ少年の直面する事件や出来事は、多少の差はあれど、人生の難題といってよいぐらい大変なものが多いのだが、それを、いかにも大げさなお涙頂戴にせず、幸せも不幸せも同じように淡々と描いていることには好感をもった。私個人としては、単純なお涙頂戴ものや、ステレオタイプな人生賛歌よりも、こういう人生のありのままの姿を描いたものの方がいい。気休めはいらないのよ。
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by turujun | 2004-10-18 20:00 | 映画
 五反田団を観たあとは、山の手事情社「jamゴールドブレンド」。以前、アゴラの夏のサミットで山の手事情社のEXTRA企画「スペードの女王」が思いのほか面白かったので、山の手事情社の本公演も是非観てみたかったとおもっていたので、これはいい機会。

 今回は、山の手事情社20周年記念公演で、これまで上演してきたもので好評だったものをゲスト(柳家花緑 他)を迎えて上演するという企画だったそうな。

 私の観た「jamゴールドブレンド」は、戯曲があって、それを上演するというものではなく、いわば山の手メソッドで培われた俳優達の能力の発表会ともいうべき、即興即興叉即興ショーといった演目だった。
 柳家花緑の「寿限無」に続き、即興あり、エチュードあり、ダンスありの盛りだくさんの内容。その場で出されるお題の数々に四苦八苦しながら応えていく俳優陣を観て、感心することしきり。目いっぱい笑わせていただいた。

 
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by turujun | 2004-10-16 19:30 | 演劇

五反田団は切ない

 五反田団は、ソニー本社のわりと近く在住の前田司郎率いる劇団だ。この劇団の売りの一つは1500円というチケットの安さ。映画より安いじゃん、ということだけで、ではないが、私はこの劇団が好きだ。
 今回私が観たのは、五反田団の新作「いやむしろわすれて草」。これまでの作品のタイトルをちょっと挙げてみると「逃げろ女の人」「びんぼう君」「動物大集会」。人を食ったようなタイトルは、この劇団の作品の特徴の一つとも言える。
 この作品は、脚本・演出の前田司郎いわく、「若草物語」がベースになっている、らしい。確かにメインは4人姉妹。でも、若草物語かといわれたら、ほのかにそうかな、と思わせる部分はあるものの、基本的には日本のフツーの家族の物語といっても差し支えなかろう。
 そんな話のどこが切ないかというと、それはストーリーではなく、その作品中の姉妹の会話やその状態だ。この作品は、病弱な3女の子供時代の部屋と大人になってからの病室でのやりとりで構成されている。そこで繰り広げられる会話は、姉妹であれば、覚えのありそうな、ののしりあいあり、小突きあいありの、かなりリアルなもの。特に子供特有の論理的整合性の無い言い合いが、年長の姉によって仲裁されたときの妹の態度とか、理由もなくだだをこねてしまう人とそれを取り巻く人の様子は、なぜか美化されてるわけでもなく、カリカチュアとして描かれているわけでもなく、そのまま素直に提示されている。だからよけいに、他人事とは思えず、ぐっときてしまうのだ。
 私が一番「これって切ないよな…」と思ったのは、3女のミキだけが部屋に残されて、他の出演者が舞台袖に去っていき、舞台袖で会話している場面。それは、子供の頃、風をひいて外に出られなかったとき、布団の中で聞いていた、子供たちの遊ぶ声とその中に入れないでいる自分の気持ちを思い出させた。
 でもって、五反田団のいいところは、こういった寂しい、切ない気持ちだけ見せるのではなくて、女同士の会話のばかばかしさもしっかり出して笑いもとるところ。前田司郎の脚本は、家族とか、気のおけない友達同士の、素の状態で人に接しているときの、すきだらけの会話を創るのがやたらとうまい。そういう油断した会話が面白い、という感覚が彼にはあるんだろうな。
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by turujun | 2004-10-16 15:30 | 演劇
今日は麻布die pratzeにて、遊園地再生事業団「トーキョー/不在/ハムレット」を観てきた。これは、何か以下の準備公演を経て来年1月に世田谷のシアタートラムにて本公演を行うという試みのうちの最後の準備公演。
 麻布die pratzeは私にとっては超アングラなイメージの劇場なのだが、いつも使っていた外階段が老朽化のため使用不可になったということで、今回はじめて正面入り口から入った。正面から入ってみると、あんなに暗く怪しく怖いと思えたこの劇場が、むしろちょっと懐かしい雰囲気の古くて清潔なオフィスビルの2階であることがわかって、個人的にはイメージアップ。
 これまでの準備公演が私にとって直感的に面白いものではなかったので、今回もそうなのかしら、と最初は不安だったが、中盤からはずっと面白く観られたので良かった。一つ一つのシーンごとに演出をがらりと変える、いわば演出のショーケースのようなつくりになっていて、最初の方で、静止画像を使用しながらのあらすじ説明がなければ、ストーリーが分からないほどに、戯曲が解体されていた。
 体の動きとそれが持つイメージ、または発語もしくは言葉のもつ作意味やイメージが互いに裏切りあい、ときにセリフを「音」として捉えて動きをつけていくような演出が、徹底していて、面白かった。言葉と体の動きがまったく違うベクトルをもって出てくるあたり、チェルフィッチュの「クーラー」を思い出した。

宮沢章夫的には、ピナ・バウシュらしい。(終演後に立ち話しているのを小耳にはさんだ)今回のは、一番大変も楽しいのも、創る側だったのではないだろうか。
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by turujun | 2004-10-15 19:30 | 演劇
 今日は、シアタートラムにて、「溺れた世界」を見た。
 決して救いのある話ではないが、結末がかなり思いがけない形で、かなり哲学的だった。深読みしようと思えばいくらでも出来そうな観終わった後、かなり「うーむ…」と考えさせられる内容。
 演出は白井晃。舞台装置は、水が干上がった池のような模様の床だけで、それ以外の効果は照明と舞台奥の壁に映し出されるモノクロの映像のみというシンプルな舞台。
 キャストは岡田義徳、上原さくら、つみきみほ、田中哲司という、何だか微妙なキャスト。でも、皆セリフはかむものの、健闘してたと思う。健闘、としか表現できないところもあるのだけれど。
つみきみほの衣装が、兵士という役柄のせいか、「花のあすか組」を思い出させる。かなり懐かしい。すごく昔の女優さんのようなイメージがあるが、実は年齢はそんなに変わらないことが判明し、びっくり。
 この微妙なキャストが影響してか、それともキャストの顔ぶれに対してチケットが高いせいか、客席は平日とはいえ、かなりさびしい。どうにかならないものか。

余談だが、客席にはケラリーノ・サンドロビッチ(確実)と山田うん(多分)がいた。
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by turujun | 2004-10-14 23:39 | 演劇
 「インファナルアフェアII無限序曲」を新宿歌舞伎町で見た。ちょっと前に始まったかと思ったら、渋谷ではもう打ち切られてたこの映画。日本の映画界(観客も含む)はハリウッドの超大作とかTV局が関わっているもの以外には冷たいような気がする。(中国映画・香港映画でも金城武が出ている「LOVERSとか木村拓哉が出ている「「2046」みたいに日本人にとって親近感のあるものは例外のようだけど)。 

  結論から言うと、Ⅰとのつながりの部分でちょっと無理があるが、この映画自体が後付けなので目をつぶるとして、Ⅱは映画としては、かなり良く出来ていると思う。特にクライマックスの場面は、Ⅰの終盤のとあるシーンと、この映画の中心にある「無間地獄」にうまくリンクされてつくられている。
  これは見る順番として、Ⅱを観てから「インファナルアフェア」(=Ⅰ)を観た方が、よりハラハラしながら面白く観られそう。
 
 、それにしても「インファナル・アフェア」に出ていたトニー・レオンやアンディ・ラウのような日本人の間でそれなりに認知度のある役者がこちらには出ていないあたり、この映画はかなりプロモーションしずらかったのではないか。映画としては、そのストーリーの面白さやキャストの魅力は見てもらえれば、わかってもらえるだろうし、すでに公開されたⅠや来年GW公開のⅢにも繋がるのだろうけど、そこに持っていくまでのきっかけが日本人には足りない。中身が重要なのは、映画に限らずなのだけど、中身が良いだけではアピールポイントにならない、というあたり、ジレンマを感じる。何とかならないものなのかしら。

 そうそう、この日は、下にも書いた原宿・EXTREALMでグラインダーマンのパフォーマンスを見た(無料)。絵やオブジェに対しては客観的になれるけど、自分の体には客観的になれておらず、体の動きが表現に落とし込まれていない印象が強く、結果的に人間の動きが段取りくさくて、辛く感じられた。
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by turujun | 2004-10-11 23:40 | 映画