舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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<   2004年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧

昔のことを思い出す。

街之広告観察ビト
 こんな広告があったんだ!知りませんでした。「どこから出てくるんだ、こんなアイディア!」と思うようなものを見るとワクワクしますね・というわけでTBしてみました。

 私はかつて損害保険会社で働いていたとき、仕事でよく自動車会社のHPを見ていたので、新車情報にはCM以上に詳しかったのだが…。そのときにも思ったんですが、、外国の自動車メーカーのHPって、その会社のHP自体が伝えたいイメージやターゲットが明確。日本の自動車メーカーのHPは車種ごとのHPはそれぞれ違うけど、自動車会社自体のHPはどこか垢抜けないように思って見ていました。そういうところがこの「アイディア」の違いに繋がるのかな…なんて思いました。
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by turujun | 2004-09-29 15:38

 9月26日(日)の雨降る午後に、私は下北沢ザ・スズナリにて猫のホテル「しぶき」を観た。
 この作品は、1999年初演の作品。日本人がみなバブルに踊っていた頃に、世間の荒波にドバーンッと揉まれながら必死に生き、転落していく若い男女の物語。いつもの猫のホテルに感じるような、チンピラとその犠牲者の生き様みたいな腹黒さはない。80年代の世相や流行がパロディ的に「かなり恥ずかしいもの」として盛り込まれている。
 舞台は二人の生きる場所がころころと変わるのにあわせ、86年年末の新宿コマ劇場の北島三郎の楽屋から六本木のヘアサロン、銀行の応接室、果ては建設現場の宿舎とめまぐるしく変わっていく。それにあわせて、登場するキャラクターの数もかなり多い。だけど、客演の2人(中村竜from ラブリーヨーヨー・依田朋子)以外はいつもの猫のホテルのメンバーなので、いきおい劇団員が複数の役を演じることになる。とはいえ、中村まことはやはり小悪人役だし、市川しんぺーは中間管理職的、池田鉄洋は訳の分からないフェロモン出している役(北島三郎の楽屋ではなぜか蜷川幸雄の物まねをしていたが)、と「いつもの」役回りと変わらない。いってみれば、良くも悪くも猫のホテルの特徴であるキャラ芝居ということ。
 その中で、カラーの違う幾つもの役を演じて、今回それぞれいい味出していたのが、森田ガンツ。彼は猫のホテル創立当時からのメンバーであるにもかかわらず、他のキャラクターの立った役者に比べると少々キャラクターが地味で「食われて」しまうことが多い。だが、今回の「しぶき」では、華道の家元、演歌の作家?といった大物キャラから妻に捨てられる男や建設現場の作業員など、それぞれに全く異なった役柄でありながら、器用に、というのではなく、それぞれに明確なキャラクターを持たせ、かつところどころに茶目っ気を見せながら演じ分けていた。いつもはみじめったらしい役が多印象の彼だが、今回の作品で、猫のホテルにしては珍しくキャラ優先ではなく役をみせる役者なのだと認識。つまり猫のホテルの名バイプレーヤー的存在といって良いのではないかしら。
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by turujun | 2004-09-27 23:41 | 演劇

Scherzo

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今日、scherzoの東京コレクションを見てきた。といってもファッションブランドではなく、映像と音楽とスピーチによるプレゼンテーション。上のポップなお面は、会場で配られた、札幌のフリーペーパー「MAGNET」と一体化していたこの公演のフライヤー。

scherzoは、札幌を本拠地とするアートユニット。主宰の加賀城匡貴がアイディアを出し、それを映像やら音楽やらスピーチを交えて、仲間達6人と上演する。音楽は弟が担当しているということで、何となくニブロールを思わせるのだが、作品の質はダンスと映像というジャンルの違いを超えて、相当違う。scherzoの世界には、日々の生活をちょっと面白くするエッセンスが詰まっている。いままでいろいろな演劇、ダンス、パフォーマンスを観てきたけど、ひさびさに「これは!」と思えるものを観て、ワクワクしてしまった。
 

 会場は六本木のSuper Deluxe。最近とみにコンテンポラリーダンスの公演が行われる場所でもあるここは以前英国酒場だったらしい。なぜそれが分かるかといえば、Super Deluxeの看板の下にうっすらとそう書いてあるのが見えるから。

 受付を済ませて、ドリンクをもらう。Super Deluxeの母体が地ビールの会社なせいか、他のお店ではお目にかかれないようなレアなビールがたくさん。これらが普通にオーダーできる、ということで、私は「チョコレートのような風味」のビールをオーダー。ここで扱っている「TOKYOエール」はオリジナルのようで、ラベルも可愛い。さて、首尾よくドリンクを受け取った私は席を探したが…開演15分前なのに、すでに座れるところには人が座っている。なので、適当に空いていそうなところに行って「空いてますか」「空いてますよ」で席ゲット。そこは単なる黒い木の箱。でも皆座っている。もちろん、ちゃんとした椅子もあるし、なんと畳が置いてあるところもある。「座席」という雰囲気はあまりない。ステージでは、かなりこったCGが流されている。「本編もこんなんなのかしら」などと思ってみている私。
 ほどなくして、CGが終わり、「上演時間中は、お携帯電話や音の出るもののお電源はお切りになり…」という、舞台公演の前の注意のちょと変?!バージョンが映し出され、それを主宰の加賀城匡貴が声に出して読む。こうしてscherzoの舞台は始まった。
 上演前の凝ったCGとは裏腹に、本編の映像は、家庭用ビデオで取ったかのようなチープな風合いのものが多く、映されているものの普通さ加減とあいまって、「日常の中の変」を意識してしまう。なんと言っても映像自体家庭用ビデオを傍らにおいて操作している。和室の明かりについているスイッチの紐の活用法や、サッカーの監督の立位置とその動きにシンメトリーを見いだし、それをわざわざ誰もいないサッカー場で監督役を2人だけおいて再現してみたり、シャッターというシャッターに「14日から16日までお休みさせていただきます  店主」と書いたビラを貼りまくってみたりするような、日常のなかにあるものに対する視点をちょっとだけ変えて、その中の笑いを見つけ、それをどんどん発展させて、「これって面白いよね」と提示してくる。彼らのやっていることは、お笑いタレントがするような観客に笑いを求めるアクションではなく、創り手が面白いと思うことを「これどう?」って感じで見せて、観客がそれに共感したり、心の中で突っ込みいれたりできる、いわば、そんなプレゼンテーション(パフォーマンスではない)だった。
 私としては、チェルフィッチュ以来、公演があれば通ってみたいと思えるものだった。次は11月20日、京都のMETROというクラブでパフォーマンスをするらしい。紅葉の季節でもあるし、行ってこようかしら。
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by turujun | 2004-09-26 23:57 | アート

北の大地の味??

 今日は船橋でFP協会のセミナーを受けてきた。13時半から17時半の長丁場。でも、ずっと座って聞いているだけなので、戦うべき相手は睡魔ぐらいだ。

 前半は、高齢者向け賃貸住宅の運用実例の紹介で、…3分の2ぐらいは睡眠学習状態。
 後半のレクチャーの前に10分ぐらい休憩があったので、すっかりのどが渇いた私は自動販売機KIRINガラナというジュースを購入した。
a0001606_1311169.jpg缶の説明書きによると、「ガラナにはコーヒーの3倍のカフェインとカテキンが入って」いるそうで、気分転換や気持ちをしゃきっとさせたいときに最適らしい。味はちょっと薬っぽい、積極的に飲みたいとは思えないという点でルートビアーとかドクターペッパーに並ぶ。
しかもこれは缶に「北海道限定」とある。船橋の勤労センター内自販機で買っているのに。何故。
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by turujun | 2004-09-25 22:12
三浦基氏の演出作品をはじめてみたのは、今年世田谷パブリックシアターで上演されたイギリスの若手劇作家による戯曲のリーディングだった。彼が演出した「家」という戯曲は、前編にわたり、「何だコリャ」という感じの、難解を越えた作品だった。彼自身、そんなことを言っていた。が、リーディングは、出演者にとってもかなりハードだったようだけど、その戯曲の分かりにくさとは別の部分で魅せるところのあるものだった。
 今回のこの作品は、私に三浦基の存在を教えてくれたmonochrome circusにも参加し、この作品にも出演者として参加している飯田茂実氏のこれまで書いてきた戯曲や小説を三浦氏が編集・演出したものだという。だが、作品自体には明確なストーリーがあるわけではない。むしろ飯田茂実の書いてきたさまざまな作品と役者の体と動きと声、音響や舞台美術、照明その他もろもろを使って、あるテーマが紡がれていく、そんな作品だった。つまり考えようによっては、リーディングのときと同じぐらい理解することは難しい作品だったりする。だからといって拒否反応を示したくなるかというとそんなこともない。安部聡子、内田淳子、飯田茂実の間に何らかの関係が生まれたり消えたりする、空間を飛び交う言葉、抽象的な世界がいきなり生々しい生活空間へ変貌するといった、目の前でめくるめく起こるさまざまなことが、どこか残酷でありながらポエティックに、センチメンタルにも感じられるあたりが、作品自体の分からなさを越えて面白いと思える理由なのかもしれない。また、三浦氏演出作品の特徴なのだろうか、セリフ回しも独特。安部聡子のセリフの言い方および発声はその最たるものだ。作品の最初の部分、左手をまっすぐに上にあげ、右肘を軽く曲げ、横に伸ばした状態で「クルクク…」と固く高い声で歌うようにいい、その歌?が終わると両手を下にばさ、と降ろし、また腕を上げるという繰り返しの部分に始まり、終始、機械仕掛けのおもちゃのようにセリフをいう。また内田淳子もあまり感情を感じさせないセリフの言い方をするかと思うと、奇声を発したりする。その様はかなりクレイジーであるとともに、どこか音楽的でもある。そうした特殊な言葉の発し方をすることで、作品は緊張感を増すとともに、ぐっと色味を増すように感じる。

 それにしても、三浦基氏は青年団所属ながら、全然「静かな演劇」ではない。むしろ明らかな前衛劇を作る人。でもそういう人も団員として持っているあたり、青年団って深い。バラエティ豊かなのは役者だけではない、ということかしら。

ちなみに、三浦氏は今度、世田谷パブリックシアターのリーディングで宮沢章夫が演出した「雌鳥の中のナイフ」を演出するらしい。これも楽しみ。
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by turujun | 2004-09-25 00:00 | 演劇

大きな水曜日

  今日は夕方からコンドルズ「Big Wednesday」千秋楽をシアターアプルで見た。ミーハ―。私の隣りの隣りの隣りの隣りにいた人は、長塚圭史。ミーハー。
 今回は、コント巧者が2名負傷していたせいか、ダンスの割合が多かったようだ。コントも大コントを除けば、かなり面白かった。今まで観た中でかなり良い方だと思う。
 それにしても、いつもなのだが、大コントが後半にいけばいくほど厳しい。思うに、小林顕作は瞬間的に笑わせるコントは得意だけど、それを連ねて一つのものにするのはあまり得意ではないようだ。

 それにしても、コンドルズのダンスシーンをかっこよくしているものは、音楽と照明だ。ダンス自体は、音がロックであるにもかかわらず、必ずしもアグレッシブな振り付けではないし、むしろちょっと柔和だったり優雅なときさえある。ダンス以上のスピード感で舞台上を駆け巡って、ダンスを硬質でパワフルに見せるのが、照明。そう思った。
 
 私の前に座っていたおじさんは途中で退場していた。コントのシュールさが肌に合わなかったのだろうか。

 この日は丸の内で「東京コンペ」もあった。神村恵が出ていたことは知らなかった。しかも優秀賞をとった(賞金20万円)らしい。うわー、見たかった。
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by turujun | 2004-09-20 23:05 | ダンス

渋谷→横浜

 今日は昼渋谷シアターコクーンで「赤鬼 タイバージョン」を観、夕方からは横浜大桟橋でDance Company Nomadesのワークインプログレスをみた。

 先日ロンドンバージョンを観た「赤鬼」だが、やっぱり良かった。タイバージョンの方が私は好きだ。ロンドンバージョンが演劇としてよくできました、ならばタイバージョンは音楽劇としても良かったと言える。シーンのところどころではあるが、タイの民族音楽なのだろうか、アフリカンミュージックのような情熱的な歌と、床をたたいてリズムを取ったりする。体の動きもダイナミックなダンスのようだった。人数が多かったのと、私がエリア指定席で舞台間近で観たというのもあるのだろうけど、とにかく迫力のある舞台だった。
 ロンドンバージョンでも、一番気になる登場人物だったトンビだが、タイバージョンでもやはり一番気になる存在だった。「バカの哀しさ」が強烈に出ていた。こういうところが描けるのはやはり野田秀樹ならではなのだろうな。
 そして改めて、イデオロギー丸出しでない野田秀樹の舞台は美しいと思う。


 ワークインプログレスの方は、何せ会場が外だったので、作品の密度が高まらないのと、場所を横に広く使いすぎていて、ダンスの動きが拡散していく、とでも言うのか、どこをみていいのか正直分からなかった。でもそれぞれのフォルムへのこだわりは感じる。また、前回と比べると個々のダンサーの動きはずっと良くなっていた。
 前回のワークインプログレスの個人的ベストシーンの立役者だった高橋佳也子が今回も良かった。作品の冒頭で、西村香里と横に並んで頭の上で手のひらをつけて、まるで人の字になったような形で舞台(と呼ぶのは便宜上だが)の中央奥から前方に歩いていくところはとても印象深い。
 また、今回は、前日のワークショップに参加した人も出演していたのだけど、その中には5月から7月に行われたダンスシードの参加者もちらほらいた。ダンスシードのときは自分の持ち味を出した作品を踊って光っていた人が今回の作品ではただ振りのとおり踊っているように見え、ちょっと残念。
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by turujun | 2004-09-19 23:13 | 演劇

渋谷の雑踏は

 地方から上京してきた人が「今日はお祭りかいな」と思うという渋谷駅前の交差点、そしてセンター街だが、今日は日が暮れてからも横須賀生まれ東京在住の私にとっても歩き辛い人出だったが、本当に祭りがあったらしく、HMV前を神輿が横切っていって、驚いた。

 下北沢はザ・スズナリで「Show the black」を観た。大川興業については、ぴあに掲載されていた前総裁・大川豊の借金日記とか、超ハイテンションで、危ないキャラで売ってる現総裁・江頭2:50ぐらいしか知らず、団体としてどんなものを創るかなんて、ちょっとぴんとこない。それが何で観にいこうかと思ったかといえば、8月24日に「Dialogue in the dark」に行って、闇の世界を体験したから。
 
 劇場内にはいるときに、パンフレットと非常用のペンライトをわたされる。舞台には白い幕が下りていて、その幕には何かよく分からない文言が一面にかかれている。
 場内が暗転し、白い幕に向かって、モノクロの映像が流れる。そして映像が終わると、本当に視界が効かない中で物語は始まる。
 何人かの男性が、気がつくと窓のないコンクリート造りの部屋に閉じ込められている。なにぶん光の一つも差し込まない中なので、何人いるのか、どんな人なのか皆目見当がつかない。はじめはすったもんだしているが、お互いの名前と人となりが分かっていくに連れ、打ち解け、これからどうしていくべきなのかという方向性が定まっていく。物語が進む中で、様々な事件があるが、それを乗り越え、団結していく。だが、そんな彼らを姿の見えない「敵」が襲い…というのがこの作品の大まかな話。観客席という安全圏から闇を見つめている状態で作品を観ているにもかかわらず、最後の「敵」によって一人また一人と刺されていく場面に至って、自分がすっかり感情移入してみていることに気付く。目の前には何も見えてないのだが、それゆえに、想像力が刺激されて、聞こえてくる音やセリフによって、今、どういう状況にあるのか、位置関係はどうなのか、ということがありありと頭に浮かんできた。もし目が見えていたら、きっと目の前で起こっているような舞台はやりすぎに思えたかもしれない。でも、視覚が闇によって奪われていることで、逆にその過剰な表現が効を奏していたといえる。
 ただ、舞台上で全てが完結していたことだけは、ちょっと残念。もし少しでも役者が観客の方に迫ってきたなら、それだけでかなりスリリングだったと思うのだけど、…パニックになりそうで、危険か。
 一方、「Dialogue in the Dark」は、盲人のガイドに連れられて、暗闇の中を歩く、ただそれだけ。だが、会場は完全に光が遮断されている本当の真っ暗闇。スリルというより、もっと根源的な恐怖を感じ、足を踏み出すことに躊躇する。中に入ると回りにいた人が全く見えないので、どちらに進めばいいのかは、ガイドの声だけが頼りだ。ガイドが「こちらですよ」と呼びかけてくる方向に歩く。周りが見えないし、周りも私が見えてないので、当然一歩一歩の歩幅が小さく、はじめは押し合いへし合いしている。見えないガイドの案内に従いながら、草地を歩く。草の香りをかぐ。せせらぎの音を聞き、その水に触る。橋を渡る。電車のホームを歩く。野球場の歓声を感じる。ブランコに乗り、おもちゃと戯れ、暗闇のバーでのどを潤す。はじめは目が見えない分、他の人に迷惑をかけないようにと、緊張していたのだが、だんだんと他の感覚を総動員して、会場内にあるさまざまな仕掛けを楽しめるようになる。ガイドの案内の仕方もまた良い。何かに触る、階段を上るといったさまざまな行為に対し、全員に対し全てやってしまうのではなく、参加者がまだ体験していない参加者に教えさせるなど、暗闇の中でのコミュニケーションを巧みに促していくのだ。こうすることで、単にこのイベントのこの回にたまたま一緒になっただけの赤の他人が、地位や年齢差、性差などを越えた不思議な連帯感を持つようになる。ガイドが促さなくとも、自然と「ここ階段ですよ」といった声かけがなされたり、感じたことを素直に口にして、それを共有したりするようになる。私は「Dialogue in the dark」の大事なところはここなのではないかと思う。視覚によって創られる先入観を捨て、素の状態で人と接し、協力し合い、思いやりをもって行動する。人間はもともとそういうことができる、ということを知る場としても、このイベントは意味があると思う。

そうそう、この日の夜は地点「じゃぐちをひねればみずはでる」を観た。
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by turujun | 2004-09-19 00:32 | 演劇

思い立ったが吉日

 今HMVに行くと、やたら顔色の悪い写真のUtadaのCDの隣にEgo-wrappinの新譜が置いてあって、ああ、2年ぶりなのか、Ego-wrappinとか思っていたら、ふとdeterminationsのことを思い出し、ググッてみたら…

 解散していた。

知らんかった…。
 とても残念なことだけど、ラッキーだったのは、このHPが16日を最後に閉鎖されてしまうこと。閉鎖される前に知ることが出来て本当に良かった。

こういうことがあるから、思い立ったらすぐに行動したほうがいいし、観たいものはみておこうと日々飛び回っている。determinationsも観たいと思ったときに行っておくべきだった。

 
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by turujun | 2004-09-16 12:55 | アート

船越 桂

 SHISEIDO MENのCMを初めて見た。
 船越 桂は、自分の創っている彫刻に似ている。そう思った人って結構いるんじゃないかと思う。彫刻って創る人に似るものなんでしょうかね?木であると分かっていても、彫刻家がもう一人の自分の頭をノミで削っているかのような錯覚を覚えて、ちょっと猟奇的なものを感じたりする。

 SHISEIDO MENといえば、駅貼りの中田英寿のポスターも気になった。一番初めに中田の腹の部分に目が行って、ぎょっとした。「人間の体ってこんななんだ」と思うぐらい、一つ一つの筋肉の形がはっきりと外側に出ている。ボディビルの選手権の時のように、体にオイルか何か塗ってはいるのだろうが、それにしても、あの写真は人間の肉体という感じが殆どなくて、体の部分だけマネキンか模型を合成しているのかと目を疑った。
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by turujun | 2004-09-13 23:12 | アート