舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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<   2004年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

 スパイラルの階段を上りきると、そこは樹脂でできたチープでキッチュなド派手空間でした。

 キュピキュピは、京都を拠点とするアートユニットらしいが、今回ほぼ初・東京進出だそう。この「ほぼ」は、かつて彼らがメジャーになる前に何気に東京で公演を行っていたらしいという情報を耳にしたから。
 そしてロビーに入るなり目にするのは、極彩色に彩られた魚人間のオブジェ(ビッグフィッシュというキュピキュピのキャラクターの一つ)やら、黒いミニスカートのワンピースに白いフリルのついたエプロンを身に付けた、セクシーなウェイトレス、壁のライトに取り付けられたかえるや魚の顔のオブジェほか、普通の空間ではまず眼にすることがないような、異形のものの数々。そのごった煮感に、始まる前からちょっとくらりとする。
 ホールに入ると、下手側に花道を備えた舞台と、舞台前にあるテーブル席。上手にはアコーディオンやチェロ(?)奏者がスタンバッている。何がこれから始まるのかしらん、といやが応にも期待は高まろうというものだった。
 で、実際本編はどうだったかというと、洗練とエロが共存する映像に彩られた昭和歌謡ショーというところ。この公演は、観客が自ら楽しめるパフォーマンス。逆にいうと、ただ「観賞」しに来た人にとっては、少々怖いもしくはサムい1時間半かもしれない。
 この作品は、観客がパフォーマーに対して声をかけたり、パフォーマーからの呼びかけにノリ良く応えてはじめて良いものになるように思った。私の観た回は、キュピキュピ経験値の高そうな人達がパフォーマーとの掛け合いにテンション高く興じていたこともあって、他の観客も一緒に盛り上がれていたと思う。だから、このユニットは、いきなり乗り込んでどーん!と公演を打つよりも、もうちょっと小規模なところで公演を繰り返すことで、パフォーマンスの乗り方を観客に知ってもらう、つまり観客を育てることをした方が良いと思った。
 また、めくるめく映像もだだっぴろく高い天井のスパイラルホールだとパフォーマンスとの一体感が薄れて、良さが生かされないように思えた。映像を生かすという意味でも、密閉感がある小規模な場所でやる方が今の時点では良いのではないかと思う。
 そして何よりこのユニットのパフォーマンスを楽しむため必要なのは、…いい感じに酔っ払うことかな。
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by turujun | 2004-08-30 15:45 | アート
 さきほど、We Love Dance Festivalの文章をアップしようとしたら、うまく接続されず、文章が丸ごと消えてしまった。ショック。というほどの文章でもないので、また書けばよいのだけど、30分ぐらいの時間のロスは何となく痛い。とりあえず、We Love Dance Festival 東西バトル編観たよ、という報告です。ダンスの感想は後日書くことにします。今度は文章をあらかじめ別のところに保存して、コピペしようと心に決めた。
 ちなみに、8月25日、私は夕方に「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」というイベントにも足を運んでいたのだ。その話も文章として残しておきたい。この体験をしなければ、夜のダンスの空間をあんなにもムナシク感じることもなかったのではないだろうか…。
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by turujun | 2004-08-26 22:32 | ダンス

うれしいニュース

 さっきYahoo!ニュースを見たら、青山ブックセンター本店と六本木店が復活するというニュースがでていた。今だにあのあたりに行くとオーバルビル方面に足が向きそうになっていた私にとって、これはとても嬉しいこと。本店は本のラインナップが充実していて、そこにいるだけで楽しくなる(閉店前はそうでもなかったらしいが)こともそうだが、フリーペーパー置き場も他の書店に比べて充実していたところが私にとっては最大のポイントだった。再開にあたり、フリーペーパー置き場は以前同様にあるのだろうか。それが今、個人的にかなり気になるところ。
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by turujun | 2004-08-25 09:41

We Love Dance Festival

先日、観るモチベーションが著しく下がった「We Love Dance Festival」だが、桜井圭介さんのHP内「Dance Critical Space ダンス批評の広場」に「yummy danceが面白い」というような記述を発見し、やはり観にいこうと思い直した。単純。
 ところで、一足先に京都でこのプログラムを観たという友人から、身体表現サークルが京都ではバカ受けだったという報告を聞いた。この前の吾妻橋ダンスクロッシングでもかなりのものだったが(私の隣に座っていた身重のTさんは超受けていた)、それ以上なのだろうか。どう受けているのか、その状況を目撃したかった。どんななんだ。
 
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by turujun | 2004-08-20 16:41 | ダンス

覚書き

blogには書いていないけど、7月末から今まで観たものをあげておきます。
7月29日 ダンスカンパニーNomade-s ワークインプログレス@Bankart馬車道
8月2日 小林嵯峨「アウラヒステリカ/エロ」@麻布die pratze
8月3日 TUAAにて神村恵(ダンスシードに出ていた)のダンス
8月8日 あなざ事情団「三人姉妹」

…もっとあるはず。思い出したら書きます。
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by turujun | 2004-08-18 15:47
 会社の行事のせいで、23日のチェルフィッチュのダンス作品を含む標記のショーケースを観ることができない、ということが判明してからというもの、We love dance festivalに対する私のモチベーションは著しく低下している。
 チェルフィッチュの作品を観られないこと自体は別に打撃ではないが、これまで「演劇」であったチェルフィッチュがつくる「ダンス」作品において、あのだらだらとした会話体言語はどう扱われるんだろう、とかそもそも「ダンス作品」と名乗ることで、作品の質が全然違うものになるのかならないのか、といったことを目撃できないことがとにかく悔しくて仕方がない。観た人の詳細なレポートとかあったら絶対読む。武藤さんとか書かないかな。書いた方お知らせください。
 このプログラムは、違う出演者で24日もあるのだけど、半分位観たことのある作品ばかりなのと、それにもかかわらず、チケットがちょっと高いことが、モチベーションの低下に拍車をかけている。yummy danceは観てみたいのだが…。
 それにしても、何で演劇に比べて、ダンス公演というのはこんなにも日数が少ないのだろう。そしてダンサーは、なぜあまり単独公演をやらないのだろう。ダンサーにとっての単独公演は演劇にとってのそれよりハードルが高いのだろうか。それとも演劇にはショーケースという形態がそぐなわないから、単独公演という形をとらざるを得ないというだけなのだろうか。

そうそう、タイトルとは何の関係もないけど、文化庁の新進芸術家海外留学制度で裕木奈江がギリシャのパロス島へ行くという。もう映像の世界の女優さんではない、ということですかな。頑張ってほしいものです。パロス島ではどんなことが学べるのだろう…。
 
 
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by turujun | 2004-08-18 14:42 | ダンス
会場に入る前に、青や黄色の照明が下からあたっているスピーカーでできたオブジェが置いてあって、その後ろに大きな布の幕がかかっている。それを抜けて客席に向かった。私は当日券で入ってかつ「桟敷」とチケットに明記してあったので、迷わず座布団席に向かったのだが、会場整理の人に「椅子も空いているのでどうぞ」といわれる。でも、空いていそうな席にはチラシやらカバンやらが置いてあって、一見どこがすでに人が取っていてどこがそうでないのか分かりづらい。そんなことで見にくい席に座らされるぐらいならばと、さっさと座布団席に陣取ることにした。席に案内してくれるのならば、空いている席をキチンと把握して、一人ひとり順番にそれを割り振った方が良いと思うのだが、と、不手際な印象を受ける。
 さて、肝心の舞台。客席に入ってくるときにくぐった幕には4箇所切れ目がある。そこから2人の男性と2人の女性が出てくる。皆白っぽい服を着ているが、それぞれ素材が一見して明らかに違うものを着ている。で、それぞれの人のソロがあったり、4人で動いたりする。ソロのときの音はピアノだったり、ノイズ系だったり、パフォーマー自身の独白だったりと、それぞれ違う。動きもそれぞれに違うのだけど、その動きは、パフォーマーの持っている身体的な特徴や動きのボキャブラリーからでてきたものではなく、むしろそれぞれのシーンに流れている音のイメージから喚起される動き、もしくは物や音といった外的な要素に対抗できる体の形(または動き)の連鎖なのかな、などと思う。そして動きは全体的にスローモーションで構成されている。体がゆっくりと動く、そのことだけで、体の存在感が「人」のそれとしてではなく、「モノ」としての存在感に変わっていくように感じられる。でも、必ずしもスローモーションばかりではなく、ちょっと違った質感の動きもまれに入ってくる。例えばビニールコーティングされたコートを着た男性の速い動きがそう。でも、この動きは、やはりほかがゆっくりなだけに唐突な印象を受け、何故この作品に入ってきたのか、その速さはどこから来たのか、と疑問が湧いてきた。
 4人のソロパートが終わると、全員出てきてのシーンになるが、4人は同じ空間にいるにもかかわらず、終始並列のままで、特に絡み合うわけでもなく、それぞれの位置に配置されているような状態である。なので、この後半部分は、無機物を見ているような気持ちになり、またそれ以上に何かを考えたり、感じたりもしなかった。
 人間が人間でありながら、あたかも「モノ」であるかのように見えるということは、NESTを見たときにも感じたことなのだ。だけど、NESTと決定的に違うところは、NESTは、音楽と映像があれば作品はなんとなく見られるものになるのに対して、この作品は、4人のパフォーマーなしでは、それこそ何だかよくわからない空間が残るだけなので、「人」は欠かせない要素なのだ。でも、この作品において、人の位置付けは、音やオブジェや映像と同等に見える。ダンスや演劇では、役者なりダンサーなり人間が作品の主体となるだけに、作品における人間の体の扱い方の違いは興味深い。
 

 この作品において、一番私の興味を引いたのは、舞台後方一面に釣られている淡い色合いのもので統一されている古着のシャツやらセーターやらでできた幕である。おそらくこれは100枚以上の服で作られているはず。私は、席についてから、しばらくの間、この物体を布を大量に使って作った幕だと思っていていたので、大量の服で作られた「オブジェ」だと分かってから、ちょっと空恐ろしくなった。私は古着のあのくたっとした風合いが、どこか見知らぬ誰かのぬくもりを感じるようで、ちょっと苦手だ。だから、それを古着の集まりと認識した瞬間、それがあたかも人の歴史がざわざわと集まって見え、ちょっとグロテスクに感じた。その一方で、幕のように壁一面にわっとつるすことで、その歴史のようなものを、いかにもなドラマを喚起させる装置としてではなく、もっとさりげなく見せているようにも感じられた。その相反する感覚が共存しているように見える大量の古着でできた1枚の幕なんてものを作って、舞台に乗せようと思うその発想と実行力とそれを可能にする芸術家の計り知れない情熱は一体どこから来るのだろう、と一小市民は思うのだった。
 ここで、思い出すのが、森万里子の「Dream Temple」だ。あの、アクリルでできた、ピンクがかった光を放つ建造物は、それこそ構想から2~3年ぐらいをかけてようやく作られたものだという。普通に考えたら、そんな樹脂で出来たピンクの夢殿もどきの建物を作るためにお金と労力をかけるなんて、と思いそうだが、その意図を地道に説明し、資金を集め、完成に至らしめる爆発的なモチベーションの持ち主が現実に存在している。その類のモチベーションをその大量の古着でできた幕にも感じたのだ。
 そしてそれゆえに、私はまたこの団体のつくるものを観ようと思うのだった。
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by turujun | 2004-08-11 09:34 | ダンス