舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ:ダンス( 87 )

昨日、4月30日をもって閉場した歌舞伎座。昨年からずっと「お別れ公演」をやっていたのだが、今回「藤娘」がかかると聞きつけ、混雑をものともせず、一幕見で観てきた。
というのも、以前、海老蔵の「藤娘」を観て、「これは「藤の精」のイメージとはあまりにかけ離れてやしないか?」と思っていたので、その思いが正しいのか正しくないのか確かめたくて仕方がなかったのだ。

結論から言うと、私の直感は当たっていた。今回の藤娘は坂田藤十郎。出だしから若々しく、楚々とし可愛らしくありながらも、ときに大胆に動く姿を見て、「これが藤娘だよなあ…」と実感。


なお、今回は「海老蔵ではない藤娘」としか認識しておらず、当日観賞後にチラシを見て「坂田藤十郎による藤娘」と認識した罰当たりな私であるが、藤十郎って相当な高齢のはず。それなのにあの踊りの端々にみなぎる瑞々しさ。芸の力、というものの存在に驚かされる。

「三人吉三」は、恥ずかしながら全然あらすじを知らないままに観ていたものの、お嬢吉三が女から男に豹変してから金を盗んで語る台詞や、三人が並んで見得を切るところなど随所に「これぞ歌舞伎!」といいたくなるような要素がちりばめられていて、その「歌舞伎らしさ」の部分を存分に楽しんだ感あり。
後で調べてみたら、「お別れ公演」が始まってから、三人吉三はこれで2回目の上演で、新橋演舞場でも昨年上演しているので、お別れ期間中、ご近所含め3回も同じ演目を上演していることになる。そのことにちょっと違和感がないわけではないが、お別れ公演ということで、いつも以上に注目度が高いことを考えると、任期の演目を、役者の組み合わせを変えて上演するのは歌舞伎ファンの期待に応えるという意味で十分ありなのかもしれない。
[PR]
by turujun | 2010-04-23 15:00 | ダンス
3月3連休の最後に観たのは、井手茂大のソロ公演。

観終わって「面白かった!」とためらいなく言える作品だった。

ダンスで面白い、というと大抵「クスっ」と笑えるぐらいの、もやもやしたレベルのものだが、この作品は、もう笑うときはどっと笑いが起きる。そこらそんじょのお笑い芸人では太刀打ちできない相当のコメディアンぶりなのだ。
それでいて、ダンスには、メタボ体形を存分にいかしつつもキレがある。

己を知る創り手が、己を最大限に活かして作るとこんなにも面白くなるのか!というほど「面白い」ダンス作品だった。
[PR]
by turujun | 2010-03-22 14:00 | ダンス
11時から受付が始まり、18時ごろ全てが終わるという長時間拘束型公演かと思いきや、作品展示や短いパフォーマンスをお散歩しながら見て回る…というゆるゆるな公演だった。
なぜか公演の一環としてパラダイス・アレイというパン屋のリュスティックを受け取るというプロセスがあるのだが、このパンが非常に美味しかった。食べると粉の香りと酵母の香り(なんですかね?)が口の中に広がって、何もつけなくてもいけてしまう。滋味あふれるパンなんである。パンと一緒にいただいたワインともあって、まさに至福。この公演における最大の幸福(つまり、口福)といって良いと思う。このパンを買いに、鎌倉へ行っても良い、とまではいかないけど、鎌倉に行ったら、このパンを是非とも買おうとは思う。

メインのダンス公演は、横浜国立大学附属小学校体育館で行われた。何と、このダンス公演のみだと無料、ということを当日、現地に着いてから知った。何だよー。というのも、「鎌倉なんとかナーレ」というイベントの一環として、上演されたものだったからなのだ。知っていたらこれだけ来たよ、と言ってしまいたいのは山々なのだが、いい年なのでやめておく(書いてるけど)。

さて、この公演は上記のとおり長時間にわたるものなのだが、これは、受付があるkaya galleryでの展示と、ダンス公演にも出演したダンサーと酵母と果物によるミニパフォーマンスで幕を開ける。
kaya galleryは千駄木のブリックワンをさらに小さくしたような、相当に小さいスペースなのだが、室内に受付を設けていたので、さらに狭い。そこに10名前後の人が入って、奥に残されたごく小さなスペースで、ダンスが行われた。そのダンスは、作品の中のムーブメントの抜粋のようであるようで、即興でもあるような感じ。途中で顔の形をしたパンをかじったりする。観客(私)の前ギリギリまで迫ってくるような大胆な場所使いで、少々スリリング(向こうもだろう…)な体験だった。体の動きにためらいがないのが、すがすがしかった。

さて、kaya galleryを後にし、次に向かったのがパラダイスアレイ。ここでリュスティックをゲットし、そのまま次の会場である墨田邸へ。墨田邸とは何かというと、有名な建築家が設計したとか、鎌倉有数の洋館とかそういうものではなく、年代物の民家。二棟が渡り廊下で繋がっている相当ふるい木造の家だ。鎌倉の若宮通りを一本は行った道をさらに脇に入っていくとあるような非常に分かりづらい場所にある。
ここが、この作品とどんな縁があるのか結局分からなかったが、ここでは本公演に出演している女性ダンサーがルーマニアでの公演時に撮影した「普通の人々・普通の生活」の姿をスライド上映していた。
ここでパンをかじりつつ、スライドを楽しんだ後、ワインをいただく。いや、ワインが欲しかったのではなく、チケットに込みのはずのお茶が切れていたので、勧められるがままに飲んだのだ。これはおいしかったのだが、ワイン飲みつつ、パンの残りを食べて20分ぐらいいたかと思うのだが、結局お茶は出てこなかった。
ここでは、お茶一杯入れるのにそんなに時間がかかるのか?とかその割に来場者とずいぶん語らっているじゃないの(友達っぽい)?とかいろいろカチンと来ることが多かった。この公演は、こじんまりとした規模で、ゆるい感じがあって、それが魅力といって良いのだが、そういうゆるく繋がった中へ私のようなよそ者が行くと結疎外感を感じる。自分の意思で行っておいてなんだが、「茶が出てこない…」というところで余計にそう思ったのだ。

釈然としない思いと軽い酔いを覚ますべく、ふらふらと鎌倉の町を歩きながら、次の会場である横浜国立大学附属小学校へ。ここでもちょっとびっくり体験。
墨田邸で見かけたスタッフに会場となる「体育館」の場所を聞いたところ、「えーっと…」。会場が分からなかったらしい。スタッフだったらとりあえず全会場の場所ぐらい共有しておこうよ!と言いたくもなったが、ここで切れると自分が嫌な気持ちになるので、心の中で「orz…」となっておいた。

さて、ダンス公演はどうだったか?というと実はダンスの存在感はあまりなかった、というのが正直なところ。作品の中にちりばめられた、原作である高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」および高橋源一郎のインタビューの言葉と、この作品ができるまでに交わされたさまざまな言葉の方が印象的だった。とりとめがないようでいて、非常に詩的な響きをもって迫ってくるのだ。
それぞれの要素の存在感は非常に微弱なのに、なぜか全体としては強靭であったことがいまだに思い出される。

最後は、西御門サローネという洋館でのポスト・パフォーマンストーク。スペシャルゲストとして鶴田真由が登場したのが驚きだった。
[PR]
by turujun | 2010-03-13 11:00 | ダンス
20時、という土曜とはいえアダルトすぎる時間帯にスタートするのにおののいたが、結果的に雨がやんで会場に行きやすくなったので良しとしよう。

この作品は、矢内原美邦名義で行われたダンス公演。ニブロールというとやたらと「スタイリッシュ感」を前面に打ち出している印象があり、面白いけどちょっと嫌味に思っていた自分がいたのだが、今回の作品はその「スタイリッシュ」さがまったくなく、むしろ矢内原美邦の個人的な思いや記憶が随所に残像として残るような、生々しい作品だった。
[PR]
by turujun | 2010-03-06 20:00 | ダンス
今月は、F/T以外で超観たいものってあるかしら?とか思っていたのだが、とんでもなかった。
そんなわけで前売り購入を失念していた私は、当日券で観賞したのだが、「jazzzzzzzz-dance」、いろいろと考えさせられた。

音楽がかかっていない中踊る時間もかなりあるが、そうでないときはほとんどがジャズが流れている、ゆえにjazzzzzzzz-danceなのだが(と思うのだが)、私が想起するジャズダンスとはイメージの部分でかぶるところも少なからずあるが、決して同じものではない。いわゆるジャズダンスが、プロフェッショナルなレベルであれ、趣味のレベルであれ「ジャズダンス」という定義がしっかりとされたなかで創られているのに対し、「jazzzzzzzz-dance」は、そういったジャズダンスといわれるものに対する批評ととれる動きで構成されていた。

さて、&ダンサーズは、年齢も経歴もダンス歴もバラバラ(と思しき)人達で構成されている。なので、個々の動きを見ていると、体全体をくまなく360度動かすような振りを踊る人もいれば、腕と足と胴体を小さくこまかく動かすような動きがメインの人もいる。後者の人はおそらく前者の人よりダンサーとしての訓練は少ないのだろうし、前者は若いころからきちんと訓練を受けていて、今でも十分なダンスの時間を持っている人なのだと思う。そういう人達が、そのもてる能力にあったダンスで同じ板の上に乗り、一つの作品を創る、しかもそれが十分に「ダンスとは何か?」の問いをつきつけるに足る力を持っているってところがなにより面白い。
こういうものが創れるって、簡単に言ってしまうけど、「すごい」。
[PR]
by turujun | 2009-11-28 15:00 | ダンス
ブラジルからのヒップホップダンスグループの公演ということで、どんなものか?と興味を持ち行ってみた。
会場に着くと、公演時間はたったの50分。短!と思ったが、実際観てみたら、中身の濃いことこのうえない。

以下メモ。とりとめがないので、後日整理する予定。

以前TVでやっていた「少年チャンプル」みたいなダンスが私の中のヒップホップダンスなのだが、あの番組に出ていた人たちだって、オリジナルのダンスを追求していたと思うのだが、あの番組に出ていたダンスとはまったく違う世界が、この公演では展開される。一見どこがヒップホップなのやら?と思うほどに進化(または変化)している。
観ている間には、確かにヒップホップを思わせる動きもあり、「お、ヒップホップ」と思うのだが、すぐにそれはどこかへ行ってしまうのだ。

なお、私は最前列に陣取って観たから余計にそう感じられたのかもしれないが、筋骨隆々な迫力ある体のダンサーがものすごい勢いで後ろ向きに走っていったり、客席ぎりぎりまで迫ってくるのはかなりスリリング。ダイナミックな瞬間も多いのに、その一方で振り付けが体の細部にまで行き渡っているという面もあるという両極端な要素が共存しているところが、私にとって面白いと思ったところだ。

特別な舞台美術はないものの、照明がアイディア豊かで作品をクールに仕上げるのに大きな力を発揮していたと思う。もと体育館という会場そのものがまた作品の魅力につながっていたようにも思う。

今回は初見ということもあり、非常に面白かった。また機会があったら観てみたい。

More
[PR]
by turujun | 2009-11-03 17:00 | ダンス
めったに使うことのない東武線に乗って、東向島に行ってきましたよ。
目的は神村恵の新作公演。東向島がはじめてなら、現代美術製作所もはじめてだったので、少々迷子になってしまった…。

会場の現代美術製作所は、下町の工場といった風情の建物で「美」の看板が目印。中もシンプルな空間で、観客席は丸椅子か座布団といったところ。段差もないので丸椅子でちゃんと観られるか?と思ったが心配はいらなかったよう。

今回の作品の最大のポイントは、何と言っても「出演:岸井大輔」。丸椅子席の最前列に陣取っていた彼は、あるとき、パフォーマンスの場と客席を隔てているであろうコードをビニールテープで貼ってあるラインを椅子ごとズズッと引きずり越えていくと、少しずつ前へ前へと進んで行き、ふと立ち上がって、観客の方へ向き、「私は劇作家の…(というような感じ)」で語り始めて、「あ、この人が!」とわかる演出がなされていたのだ。いきなり、客席にいた人が、ダンサーのいる方へ向かっていくので、何事か!と結構本気で驚いたのは私である。
ただし、岸井大輔氏本人がどんな人であるかわかってさえいれば、この登場の仕方は、「ちょっと変わった演出」ぐらいだったかもしれない。その点、私は創り手の意図するままに驚かされたといってよいのではないだろうか?
[PR]
by turujun | 2009-10-17 23:51 | ダンス
私の中のイデビアン・クルーというと、結構大き目の劇場で公演を行う人たち…という印象だったのだが、今回はなぜかちょっと都心からちょい外れたところにあるにしすがも創造舎での公演。この会場は今年から始まったフェスティバル・トーキョーの会場としてもおなじみ。

公演が行われる場所は、これまでにも何度も足を運び、場内も分かっていたはずなのに、今回ほどここが「元・体育館」であることを実感したことはなかった。なぜならば、バスケットボールのゴールが下りていたから。なつかしいなあ…最後にあれを目にしたのは一体いつのことやら。

で、今回は会場の左右に座席が設けられて、その間に長いダイニングテーブルと座席がぽつぽつと置かれている。開演すると、メイド服に身を包んだダンサーが、そこに椅子をさらに追加していきつつ、井手茂大をはじめとするダンサーが、燕尾服やらスーツやらドレスやら着物やらに身を包み、出てくる。
場所の設定としては何らかの「晴れ」の席であることが分かり、そしてそこでは男女一組のダンサーがいろいろな人々のドラマティックな一こまを演じている一方で別のダンサーたちがそれに呼応するように群舞をしている…という構成だった。劇中ではほんのわずかにダンサーが声を出すことがあるが、基本的には無言。ピナ・バウシュの作品を「タンツテアター」と呼ぶけれど、演劇性のあるダンスという意味でこの言葉を使うなら、イデビアン・クルーの作品もタンツテアターかな、と思いながら見ていた。
あと、今回観ていてふと思ったのだけど、井手茂大の振り付けは、バレエみたいなのに、小手先で変えただけではなくて、もっと深く引用しているように思えて、見ていてすごく気持ちが良かった。(気持ちが良いのは、イデビアン・クルーのダンスは動きの量が多いのもあるかもしれず…)
また、今回の作品はある意味「昭和」テイストが前面に出ていたともいえそう。音楽しかり、衣装しかり。(音楽…昭和のムード歌謡(曲名不明)が拡声器のようなスピーカから流れてきた。衣装:80年代風の肩パッドの入ったジャケットを着た人が出てきていた)

なお、今回の公演をもって、イデビアン・クルーは活動休止だそうです。当日パンフによると「産休みたいなもの」だそうです。
うーむ。
[PR]
by turujun | 2009-08-23 19:30 | ダンス
2月に入って、見たい公演が目白押し。昨日まで悩みに悩んで決めたのがこの公演。

カナダ・モントリオールのダンスカンパニーの来日公演だ。
当日パンフレットには「一幕バレエ作品」とあるのだが、表面的には、、「じゃあバレエって何よ?!」と突っ込みたくなるような要素がたくさんつまっていたりする。それゆえ、上演中に最前列あたりに座っていた人が2名ほど途中退出…。普通のクラシックバレエやモダンバレエ的なものを期待している向きには、がっかりというか、噴飯モノだったかもしれない。

というのも、まず公演開始とともに上半身裸・乳首に金色のニップレスをつけたダンサーが背中を丸め、うなり声を上げながら出てくるのだ。その後も言葉とも分からない声を上げたり、ほぼ全裸!?(実はベージュのパンツを履いているけど)な感じのダンサーや、男性器のニセモノを装着したダンサーが出てきて、舞台上の女性ダンサーとセックスをあからさまに模した動きを結構しつこめにしたりするのだから。

とはいっても、むしろあけっぴろげな喜びの表現としてセックスという行為を採用しているようで、そこには淫靡さや、猥褻さはみじんもない。こういうあたりに、「露出」や「性的な表現」に対する私が見ている日本の舞台との違いを感じるというか、そういったあけっぴろげに生の身体を見せるということ自体は海外の作品でもある意味作品に衝撃をもたらす効果を期待して採用するものかと思うのだけど、この作品ではそういうインパクト面の意図というのは全くと言ってよいほど感じられなかった。

ダンスの動きはというと、これまた「バレエ」と言っておきながら、バレエ的な要素は一瞬ポワントで歩くダンサー(長いラッパのような管楽器を「プォー」と舞台両袖から吹きながらでてくる)ぐらいで、どちらかというとアフリカンダンスをもっと軽くしなやかにした感じの、身体全体が曲線で構成されるようなものが非常に多い。これまたいわゆる「バレエ」を見にきたつもりの人にとっては「何だコリャ」だったと思う。

ただ、この作品で興味深かったのは、後述するポストパフォーマンストークの中で、「テーマそのものと、表現したいことは別」とマリー・シュイナールが語っているわりに、タイトルである「オルフェウス&エウリディケ」のモチーフが、この作品の前半部分で、この神話がどういった内容かをざっくりとした字幕と面白い顔の表情体の動きと声とで説明していたのだが、その前からずっと最後まで何気に貫かれていたということ。しかもそれをはっきりと行うのではなく、ほんのりとそれが感じられるように、そして身体表現が際立つようになされていたということだ。

公演後に、ポストパフォーマンストークが開催され、舞踊評論家(で良いのか?)の石井達朗氏と、主宰のマリー・シュイナール、そしてカンパニーメンバーの日本人の男性がトークをしていたのだが、通訳の腕が悪いのか、外国人とのこういう席にありがちなどこか噛み合わないトークが展開され、日本人ダンサーがいただけに余計にその噛み合わなさが際立って感じられてしまった(日本人ダンサーの男性は、元・コンドルズだそう。上地雄輔に似ているように思うのは私だけ?)。

惜しむらくは、こういった来日公演にありがちな空席の多さ。私も前日予約なのにかなり前のほうの席をゲットできてしまってしまっていたぐらいだし、招待もなかなか多かったよう。5500円で、日ごろ観ているダンスとは全然違う視点・アプローチで作られていてなおかつ面白い作品が観られるのだから、もう少しお客さんが入っても良いのでは…なんて思う次第。
[PR]
by turujun | 2009-02-07 15:00 | ダンス
カンパニーとしての活動は今年2月のBankart以来。
今回は美術家の出田郷、音楽家の大谷能生とのコラボレーションという、神村恵としては初の試みもある期待の公演。

さて、会場であるSTスポットに入ると、白い壁とグレーの床に囲まれた舞台には、何もない…。
出田郷の「舞台美術はどこに!?」と思っていたら、舞台が始まってダンサーがぼちぼち持って出てくる白い箱がそれだった。
これは白い立方体で、一面にレンズが取り付けられ、そこから光を放つというもの。それをダンサーが舞台上のあちこちに積み重ねたり、移動したりする。そしてその一方で4人のダンサーが身体を動かしている。
それははじめは何の規則性もないようでありながら、ずっと観ているうちにそれが以前出てきた他のダンサー動きを踏襲していることが分かってくる。また、あるダンサーがとあるポーズをとろうとしているときに、別のダンサーがそれを阻止しようとする。
それらが、舞台美術の箱を動かす行為をランダムに挟みながら、繰り広げられているうちに見えてくるのは、個から始まった動きが全体に広がって一つのダイナミックな動きへと広がっていく様だった。

神村の作品には、分かりやすいメッセージや、既存のイメージを喚起させるような動きもなければ、演劇的な要素もない。そういう意味で分かりやすいダンスではないけれど、私にとってはそれこそが神村のダンスのよさだと思っている。
ダンスで何かを表現するのではなく、ダンスとは何かを探る。それが神村のダンスではないかと、私は思っている。そしてそういうダンスがダンスとして存在するのは、ありだと思う。
[PR]
by turujun | 2008-12-20 19:00 | ダンス