舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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カテゴリ:演劇( 246 )

今日は、ひさびさの柿喰う客。出演者が皆女性、総勢14名とのこと。

タイトルがかなり強烈なので、「~を観にいく」などと、何も知らない人の前で言ってみたり、ツイッター上でつぶやくのは危険だなあとか思っている。

さて、この作品は、とある女子高のサッカー部が勝利を目指してチームワークを高めるために試行錯誤する…という話。こう書くと、なんとなく青春モノのような雰囲気が漂うのだが、スポ根青春モノによくありがちな、試合におけるドラマは大胆に端折り、タイトルがタイトルなだけにそんなことはまったくなく、柿喰う客だとおなじみのサブカル的なモチーフを、てんこ盛りにし、あくまで作り事、「演劇」としててんやわんやに見せている。

女子サッカーという女子スポーツとしてはずいぶんと泥臭い種目を選んでいながらも、舞台上にいる女優は皆「ギャルか!」と突っ込みたくなるような衣装に身を包んでいるので、話の中でサッカーの試合の話をしていても、それ自体にはまったくリアリティがない。そして、チームワークを高める手段として取る行為に関する言葉が何度となく劇中に出てきていながらも、言葉が出てくれば出てくるほどにリアリティがないのである。

このリアリティのなさは一体何なのだろう?と思わされる。

なお、本編後のアフタートークで作・演出の中屋敷法仁が語っていたから知った。そこで、「この作品を書くにあたり、あさま山荘事件とか、三島由紀夫の自決とかについても取材した」とのこと。しかし作品からはこれらを感じさせる要素は思い当たらないな…と思ったのだが、よくよく舞台を思い返してみると、本作は全体主義の話であったと思い当たることがかなりあった。
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by turujun | 2010-05-23 14:00 | 演劇

木ノ下歌舞伎「勧進帳」

予約を失念していて、当日券で観てきた木ノ下歌舞伎の「勧進帳」。今回で2度目の団体。
上演時間1時間という短いのに相当に濃厚、そしてポップな作品だった。

本編の面白さもさることながら、アフタートークの異様なテンションの高さ(主宰と演出)も相当のものだった。
そのアフタートークの中で、観客から「この作品で一体何が言いたかったの」という質問が出て、主宰および演出がそれぞれに「歌舞伎の中の勧進帳の位置づけの特殊さや権威を剥ぎ取りたかった」「現代の身体で表現する歌舞伎の追求」というような回答をしていた(ように記憶している)。
ここで私がふと気になったのは、質問した人は、この作品に何らかのメッセージや主張を読み取りたかったのではないかということだ。
 私の経験からすると、「物語」には主題=作者が言いたいことがある、と一貫して学生時代に教えられてきている。もしこれが私達の周辺の世代、そして私より下の世代において同じであるとした場合、特別な教育を受けていない限り、「物語」を含有するあらゆるもの、映画しかり演劇しかりなのだが、には主題があってしかるべきだと考える傾向があるのではないだろうか。そしてその「主題」はときとして作者のメッセージにすり替えられ、あらゆる作品には「意味のあること」が込められているべきだと考えてしまっているような気がする。

その一方で、演劇の創り手は、「演劇」を主義主張を発信する道具として捉えている人ばかりではなく、今回のように「歌舞伎の特異性に対する批評として」演劇をする場合だってある。
そうした場合、観る側の視点と創り手の意図にはおのずとズレが生じてしまうのではないだろうか。今日は観客側から創り手へ質問し、そのあたりが明らかになったので、ズレがあったとすれば修正されただろうが、これがそういったコミュニケーションがないままに観客が劇場を離れたとすれば、観客の中に演劇に対する不幸な誤解が生じるのではないだろうか…と思った。
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by turujun | 2010-05-16 15:00 | 演劇
トヨタコレオグラフィーアワードに出場した際の「クーラー」に2つの小品を組み合わせて作った今回の作品。当日パンフによると、海外で上演する際に、「クーラー」だけだと短いので、2つの作品をつけたとある。

それによって、

個人的には「お別れの挨拶」パートでの送り出す側の派遣社員の女性の最後の台詞が「これ言わすか!」と思い非常に面白かった。
この作品のポイントというのは、ここ数年話題になり問題ともされている非正規雇用の問題をテーマの一つとしていながらも、それに対して何らかの意見やメッセージ(「●●であるべき」とか「●●すべき」とか)を発信するわけではないというところなのではないかと思う。
それゆえに、社会的なモチーフを含有しているにもかかわらず、ある意味軽薄といってしまっても良いほどに軽い作風になっている。それが良いのか悪いのかといわれると、個人的には前者だったりする。社会的な問題を取り上げるからといって重くある必要はないのではないか、と思うので。

世間では、この作品がチェルフィッチュにしては珍しく「退屈しない」と評判のようだが、その理由の一つに、一つの作品に付き、一曲そのまま流している…というのがあるからではないかと思った。曲の終わりがその作品の終わり、と思えば何となくめどがついて安心して観られるというものだ。
逆に言うと、終わりの予兆のない観劇ほどつらいものってない。
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by turujun | 2010-05-08 14:00 | 演劇
GW中は何気にあまり舞台を観れないのでは…と思い、ちょっと気になっていたこの公演に足を運んだ。
実は、この公演の平日のポストパフォーマンスパフォーマンス?が相当気になっていたのだが、どう考えても平日は無理だ…というとで諦めていたものでもあった。

さて、この作品はタイトルにあるとおり、「四谷怪談」を下敷きにしたものらしい作品と、落語をもとにした作品の2本が切れ目なく上演された。しかしこの2本にはまったく繋がりはない。

四谷怪談の方は、舞台正面奥の壁に四谷怪談のあらすじを映写しながら、その前で役者が演技をする、という形態をとっていた。

その内容とは(ネタばれです。でももう公演は終わっているはずなので…)、「あるとき突然彼女の父親から、「娘と別れてくれ」といわれた男がひょんなことからその父親を殺してしまう。彼はその現場を目撃した女性に脅され、その女性の恋敵を殺すよう言われ、それを実行に移す。」というものを、「男」サイドと「彼女」サイドの視点から描いたもの。そのつくり自体はなかなか面白いのだけど、何と言うか、全体的にアイディア勝負なようで、アイディアが不発といった感じで、今ひとつ物足りないというのが正直なところ。

一方、落語をベースにした方は、うって変わってぐっと面白い。冒頭の山内健司が「岩井秀人」を演じているところとか、飛田新地で娼婦を買った一人がその娼婦と恋仲になってしまう妄想にとりつかれるあたりとか、こちらは演出のアイディアがズバリ当たったといって良いと思う。
特に、飛田新地での、岩井の友人2人のそれぞれが自分の選んだ娼婦と一緒に部屋へ行った時の、部屋の中の描写の表現が実にゆるく、そのゆるさが作品に良く合っていた。
古典のもつ温かさに対して冷静な目線を持ちながらも、彼自身の価値観に照らし合わせた「落語」を作りえたのではないかと思った。
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by turujun | 2010-05-01 21:47 | 演劇
はじめて観たboku-makuhari。名前は以前から知っていたものの、ここのところ公演を行っていなかったのだ。

今年のはじめごろから、チラシが入り始めて、活動を再開することが分かり、観にいってみた次第。
公演は、夜公演のみ。日曜日なのにまさかの19時30分始まりである。海外のカンパニーみたいなことになっている。

さて、作品はというと、2部構成となっており、前半がタイトルにもなっている「スリープ・インサイダー」。登場するのは男性一人と女性一人。
理由も分からないまま、時間の経過がまったく分からないような構造の部屋に監禁された男女が、いつの間にか言葉攻めをしあうという内容だったように記憶している。
舞台が始まると、いきなり女性の叫び声から始まるので、場内の空気は相当に剣呑で、テンションが高い。そのテンションの高さは理由も分からず見知らぬ空間に閉じ込められた恐怖によるものなのだが、それがだんだんと男性と会話をするうちに、男性を何故か追い込んでいくうちに起きる精神の昂ぶりに変わっていく。
このやりとりが、冷静に考えると「何で初対面の人間にここまでやれるのか?」というほどに強烈なものなのだが、作品の流れの中にあると、意外なぐらいに自然にここに至る。言葉づかいも決して自然(現代口語的)であるとは言えないのに、そこに演劇的なものへの違和感はなかった。

この劇団の主宰であり作・演出の岩崎裕司はいわばゼロ年代(これ使うのは結構抵抗がありつつ、ぴたりと来る表現が思いつかないので、こうします)の演劇人なのだが、同時期の劇作家とは少々作品の傾向が違うようだ。より人間の内面的な暗さに強い関心があるように思われる。

なお、後半の作品は、どこかの山小屋のような場所での一組の男女の話。こちらは前半の二人も何気なく話しに入ってくるが、これが前半と同一人物なのかそうでないのかは明言されていない(多分違うと思われる)が、この二人が後半の物語にも入り込むことで、この前半と後半あわせて「スリープ・インサイダー」という一つの作品であることが示されていたのだろう、と思っている。

この作品は、一体何が言いたいのか?という部分については明快な提示がされることはない。そういうのも最近はあまりないな…という意味で、少々懐かしい感じがした。

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by turujun | 2010-03-28 19:30 | 演劇
最近、駅から少し距離がある劇場に行くとなると、たいてい時間ギリギリになる。今回も桜木町から歩いて行ったのだが、場所を勘違いしていたため、開演ギリギリの劇場到着となった。
さて、今回の会場、Bankart NYKホールは、もとは日本郵船の倉庫を借りたものらしい。なのでホールの真ん中には太い柱がどーん!と立っている。要はここで作品を上演するとなると、この柱の存在は避けて通れないのだが、今回、COLLOLは、座席と上演スペースをはっきりと切り離さず、劇団スタッフが観客に「お好きなところでご覧ください」と案内する、という形を取った。たいていの人は壁沿いのよろしいと思われる場所に座るなり立つなりして自分の場所をキープするのだが、中には柱の前に場所をとる強者もいた。
(なお、この柱の前で観劇した方は、役者に上演中に「正直ウザいんですよねー(笑)」といじられていた)

この作品は、HPによると旧約聖書の「ヨブ記」をもとにしたものなのだそう。私はこのあたりまったく疎いので、原典を参照してそれに対してこれはどう、とか言えない。ただこれははっきりと言える、男女の関係≒恋愛のさまざまなありようを複数の男女の役者がダンスと詩的な台詞で幻想的に演じているというあたりに、この作品は女性の世界観を体現したものなのだな…ということがすごく感じられた。

ファンタジックな美しさを目指したものなのかな…と思われるのだが、それがあまりに絵空事的すぎていて、かつその美しさは既視感を覚えるものであったがために、作品世界に入りこむこともできなければ、その内容に響くところもなかった。

この感想を書くにあたり、ヨブ記についてググってみたところ、ヨブ記の内容と本作品の接点も良く分からなくなってきた。ヨブ記は原作なのではなく、創り手がつくりたい世界観への媒介にすぎないのでは…とも思えてきた。
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by turujun | 2010-03-27 17:00 | 演劇
今年、岸田國士戯曲賞を受賞した柴幸夫の劇団「ままごと」の公演。前回の「わが星」は見事にすっ飛ばしてしまったので、こちらはちゃんと観ておこうと思い、はやめに予約して観に行った。
少々遅れて到着したら、場内はもうほぼ満席。なのに適当な席を見つけて座ったとたんに腹具合が悪くなるという最悪の事態。スタッフの人にその旨を伝えたら、出口近くに席を設けてくれた。心遣いに感謝。その節はありがとうございました。

さて、感想は後日。
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by turujun | 2010-03-20 19:30 | 演劇
この日、世間はホワイトデーだったが、私はレッドシアターで赤い薬w。
今回も、かなり毒の効いた、それでいて笑わせる内容だった。
長年一緒にやっている役者同士ということもあるので、チームワークの良さは感じるし、ずっと観続けていることによる「お約束」的なキャラクターの特徴が見えてくるあたりのサービス精神も楽しいのだが、年々毒が弱く、軽くなっている印象がある。それが物足りないし、寂しい。
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by turujun | 2010-03-14 14:00 | 演劇
名前は聞いたことはあれど、実態がまったく分からなかった京都の劇団、男肉 du soleil がアゴラ冬のサミットに参加することを知ったのは昨年のこと。絶対観る気でいたのに、日程を見たら土日が入っていない…しかし幸いなことに平日休ゲットにまんまと成功し、ひな祭りであったこの日に観にいったのであった。

一言で言うと、確信犯的な学生ノリ。しかも無駄に熱い。これを観ると、テクニック云々以前にコンドルズが非常に洗練されたプレゼンテーションをしていることが分かる(活動歴が違う!といわれればそれまでだが)。

とりあえず、下手したら京都のローカル劇団で終わってしまっていたかもしれないこの団体(失礼!)を、違うエリアの人に見せたところにアゴラのサミットの存在意義を強く感じた公演だった。

もしかしたらいろいろ思い出してもっと書くかもしれない。
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by turujun | 2010-03-03 14:00 | 演劇
ここのところ、ツイッターで見たものの感想を書いてしまい、それで満足してしまう傾向がある。つぶやきだけじゃだめだ、ちゃんと考えたことを形に残さなきゃ、とは思っているのだが。

さて、この作品は昨年あたりにアゴラ劇場で観たものの再演。前回「利頭夢子」だった内田慈が出ていなかったのが残念だったが(ファンなので)、すでに内容をざっくりと知っているだけに、安心して観ていられたというのが正直なところ。初演のときは、前半20分くらい、一体なにが起きているのか不安になったものだ。

初日だったせいか、全体の流れに締まりがないように思えたが、内容を知っていたとしても、十分に面白い。場所が変わったということで、場に合わせた出はけ、演出が加えられているのはもちろん、新しく追加された演出もあったように思う(歌舞伎風のところって初演あったかな?)
また、リズム、というのが単なる音楽におけるリズムだけではなく、生活の流れにおける規律に結びついて、価値観を押し付けがちな人間関係の比喩になっていることは、初演時には気づかなかった。
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by turujun | 2010-02-27 19:00 | 演劇