舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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ズニ・イコサヘドロン 「Tears of Barren Hill (荒山泪)」

本日は、大野一雄フェスティバルの中の公演のひとつズニ・イコサヘドロン(進念二十面体)の 「Tears of Barren Hill (荒山泪)」を観てきた。大野一雄フェスティバルは存在は知っていたけど、いまひとつ惹かれる演目がなく、これまでずっとスルーしてきたのだが、今回自宅に送られてきたBankartからのDMが決め手で初めて足を運ぶこととなった。


↑ズニ・イコサヘドロンのYoutubeページが存在していて、当然のごとくこの作品の動画もアップされているのだが、本日観たものとはずいぶん違う。役者さんも違うし(黒いシャツの人は動画の人ではなかったです。白いシャツの人は同じ)。

会場となったのは、Bankart Studio NYKの3階にあるホール。といっても大きな柱が3本室内を貫いているので、「ホール」と呼ぶにはどうなんだここは、というような代物。柱はもちろん壁もコンクリートむき出しという無骨な見た目だが、もともとは日本郵船の倉庫だったらしいから仕方がない。

さて、実は今回の作品にはそんな会場自体の状態のハンデがありながら、過去におけるチェン・イエンチウの思いと、彼が生きた北京とベルリンのイメージが渾然一体となって提示されているさまに、すごく感銘を受けてしまった。
それが実現した理由は、南京や上海から来た昆劇の役者の表現能力の高さに大きくよっていると思う。彼らは劇中で、役者としての自分自身とチェン・イエンチウ、そして彼自身を取り囲むさまざまな事象を体現するのだが、「身体性」とか「鍛錬」とかにこだわるつもりは皆目ないのだけど、動きの一つ一つのメリハリのあるさまや踊りの滑らかさを見ると、そういったものの本当の力というか、そうであることがデフォルトであることの強さを認識せずにはいられない。

また、劇中でずっと上手下手と下手側奥にある白い壁に投影されていた字幕がすごく興味深い。というのも通常字幕というのは、話者が一人もしくは舞台上の人の台詞を翻訳するものなのだが、この作品においては、程硯秋(チェン・イエンチウ)の内面的な問いかけやモノローグをはじめ、作品における客観的な説明、役者が歌う歌の訳など、さまざまなものが同じように投影される。だからそれが一体誰が語り手であるのか翻弄されてしまうのだ。

さらにこの作品の面白いところは、一見まったく関係がなさそうな人物(グレン・グルード、ビリー・ホリディ、レニ・リーフェンシュタール)との些細な偶然を用いて、チェン・イエンチウと彼が生きた世界をあぶりだしていくところだ。ともすれば単なるこじつけとも思えそうなものを、必然あるものとして見せてしまうところはまた興味深かった。

チェン・イエンチウという一人の天才的な京劇俳優をとりあげつつも、個人の歴史として物語を立ち上げるのではなく、歴史や哲学を問う作品になっていた。




なお、この「荒山泪」という作品は、実際に昆劇の演目として存在するそうで、劇中では「非常に政治的な」と表現されていた。
http://v.youku.com/v_show/id_XNDg4Mjc3MzY=.html
↑程硯秋本人主演の動画発見。
レニ・リーフェンシュタールと彼女の作品「Triumph of the will」(ドイツでは現在上映禁止だそう)の映像はその文脈で出てきており、またチェン・イエンチウが生きた時代の北京の動乱は日本も深いかかわりがある。また、Triumph of the willの映像に、文革時代のプロパガンダ映像がかぶってきたりしているのは、その時代に対する批評行為とも読めるので、この作品もまた、政治的なものであるように思える。


これが2000円で観られるって…大野一雄フェスティバル、どんだけ太っ腹なんだろう、と思う私は貧乏性。
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by turujun | 2009-09-27 22:06 | 演劇