人気ブログランキング | 話題のタグを見る

舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ロイヤルボックスからの眺めは

 今年最後のダンスシードのプログラムだったせいか、7月18日の夜の回は大入り満員。私は、普段は物置として使われているスペースでの鑑賞となった。そこは背の低い私でも立っていることはできないぐらい高さもなく、また大人が椅子に座って4人がやっとという小さな場所。窮屈なうえにやたら暑いので、上演中はかなりしんどかった。だが、せまくてやたら暑いのを除けば、いつもより高い位置から空間を見渡せるこの場所からの眺めは、ちょっとしたVIP気分。
 一番手は国枝昌人「bystand」。辞書で調べてみたら、「bystander」はあるけど、「bystand」はない。だから造語みたい。「bystander」は傍観者。冒頭、ほの明るい照明の下であお向けに浮いて見えるような状態で始まるのだけど、初めて見たときは、まるで手術台の上にいるように見えた。でも、その後、台を片付ける間もなかったので、そういう風に見える体勢だったのだろう。具体的にどうであるかは分からないが、キープするのはかなりしんどそうであることは分かる。そこから起き上がって、ゆっくりとした、緊張感ただよう動きがしばし続いて、5月、6月にも多く見られたような(国枝はダンスシード3ヶ月間毎月出演していた)、早く、キレのある動きが展開される。時折、身体を床に落とす動きがあるのだが、そのたびに「ゴトッ」という骨と床がぶつかっていそうな音がして、痛くないのだろうかと思う。5月6月の作品でも見られた早い動きは、基本的な動きのバリエーションは基本的に同じなのだけど、今回は観ている私の感じるところが違った。これまでの彼の動きは、「動ける」ことが確認できるものの、何のために動いているのかさっぱりわからなかったのだが、今回に関しては、私は、彼の動きを観られることを前提としているような動き、もしくは自ら観察対象となるような動きであるように感じた。いってみれば、籠の中の虫を外から見ているような感じだ。それは高いところから見下ろしているからなのか、とも思ったが、タイトルからすると、それは視点の位置などではなく、表現の意図するところであるようだ。この人の作品を観て、初めて作者の意図に触れられたような気がする。観続けることで見えてくることもある、ということだろうか。
 2番手は神村恵「もう無理、もう無理?」。これってどうよ?と思うような自暴自棄気味なタイトル。ダンス自体もヤケなのかふざけているのか、ぱっと見分からないようだが、実際のところ、この人の5月の作品も持っているフレーバーが脱力系。いっぱいいっぱいな状況下での、やる気が失われつつあるような、半ばやけっぱち、でも焦ってたりするようなところがこの人のダンスの5月の作品と今回の作品に共通する方向性なのだろう。しかも、それをそのままやるのではなく、いったん自分の感覚から切り離して客観視したうえで、ダンスのムーブメントとして再構成しようとしている。そんなものをダンスにしようと考える発想がまず面白い。だが、それが、実際に作品として成立しているかというと、そうであるときもあればそうでないときもあるようだ。作品のはじめの方で、舞台中央奥に観客に背を向けてかがみこんでいる姿や、上手の方で走っているポーズがピタリと止まらず、ぐらぐらしているところのように、すきだらけの体を見せているところや、壁をけって床の上を滑っていくところは、良い意味で「よくこんな動きを思いつくよな」と思えるが、最後の頭をかきむしるところは、ダイレクトすぎてちょっとつまらない。
新井英夫と早川るみ子の作品は、基本的に二人の間には何ら関係が見られない。特に新井は、本当に自由に動いているように見える。対して、早川は新井より少し遅れて舞台に現れた後、新聞紙を破ってその後舞台後方のカーテンの後ろに隠れてしまう。その後しばし音沙汰ないようでいて、カーテンから少し顔をのぞかせて新井を見つめてみたり、腕を出したりと、ちょっとアクションを起こす。それが妙に気になり、じゃんじゃん動く新井よりずっと目に付く。特にじっとカーテン越しに新井を見つめるていたときには、二人の関わりがさほど問題とされていないこの作品の中で、何らかの関係を感じさせるいい場面だった。早川は今回が初舞台だという。背の高さとたっぷりとした長い髪といった身体的な特徴を活かして舞台上でぐらっと動くと、それだけで目を奪われる。いってみればビギナーズラックなのかもしれないけど、いいじゃん、ビギナーズラックで。
新井と早川がびりびりに破いた新聞紙を片すことなく、善財の作品へ。しわっぽい白いシャツをはおって、ベージュのガードルを身につけた善財は、さながら家の中でだらしなくしている感じ。下に散らばる新聞紙の紙片は、実際の彼の部屋も散らかっているかも?とか思ったりして。そんななかで、鼻をほじってほじってほじって…訳のわからないスペクタクルを展開する。「作品」と称して鼻をほじりまくり、客にお尻を見せつづけ、最後には舞台に観客をあげて作品に参加させるんだから、かなり大胆。この人にとってのダンスって、…本当に何でもあり。だから面白い。ダンスで表現できるものへの許容範囲を意図的に無視したかのような馬鹿馬鹿しいモチーフからのある意味壮大な展開は、爽快ですらある。最後がこの人で本当に良かった。
 そして暗転後、新井の掛け声ではじけた音楽と照明にかわり、ダンスタイムに突入し、そのままカーテンコールへ。3ヶ月続いたダンスシードというダンスのお祭りにふさわしい幕切れとなった。
 それにしても、こんな終わり方と知っていたならば、高いところになんて登らなかった。舞台に上がっても上がってなくても、その選択の自由のある位置にいた観客全員が羨ましかった。沸き立つ観客席の熱気をともに感じることの出来ないロイヤルボックスの人々の気持ちも、こんなものなのかもしれない。

 この文章は、今年の5月から7月にかけて千駄木にあるBrick-oneというスペースで行われていた「ダンスシード」というイベントの今年の最終回7月18日(日)(先週のことですね…)についてのものです。来年もある予定なので、気になった方はチェックしてみてください。
by turujun | 2004-07-25 21:57 | ダンス