舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

KUDAN Project「美藝公」@下北沢 ザ・スズナリに関する覚書

観るたび「面白いんだけど、よく分からなかった」と思うKUDAN Project。NODA MAPと並び、どんな作品だったか分かりやすく簡潔に語れない創り手だと思う。

今回の作品はというと、…自分が面白いと思ったところについてはそれなりに話せるけど、どんな話か、と言われるとやっぱり分かりやすく簡潔にはいえない。

当日パンフレットに
「(前略)…小説作品『美藝公』を原作としておりますが劇化するにあたり、「世界」
の設定以外の大部分を改変してしまいました。(後略)」とあるので、
小説の筋を借りて話ができるかと思いきや、それもできないらしい…。

さて、その世界の設定とは、映画が産業の頂点にある日本というもの。タイトルの『美藝公』とは、映画俳優の中でも頂点に立つ者に与えられる名誉ある称号。
この作品は、元・美藝公とその彼の幼馴染のシナリオライターによる二人芝居。


★以下ネタバレになってしまうかも…ご注意ください★





とある事件が原因で、美藝公がその地位を捨て映画界を去り、演劇をやることになる。そして幼馴染のシナリオライターは、彼のために演劇の戯曲を書くことに。だが、「映画の脚本は書けても戯曲は書けない」というシナリオライターと、その彼を脅したり、なだめたりしながら何とか書かせようとする元・美藝公とのやりとりが舞台上で展開される。

もともと映像をふんだんに使っているKUDAN Projectだが、今回は「映画立国の日本」が舞台となっているだけあって、自分のいる世界がリアルなのか、それともつくりものの世界≒映画の世界なのか、分からなくなっているシナリオライターの内的世界を表現するのに、「映像」がふんだんに使われていた。


この作品は、「真夜中の矢次さん喜多さん」と微妙に地続きになっている。それは役の名前が似ている(シナリオライターと美藝公は互いを「やじさん」「きたさん」と呼びあっている)ことや、どちらの作品もリアルとシュールの狭間を行き来しているかのような世界が展開するところにも現れていることからも分かる。
そしてそれを現実の舞台とできるのは、やはり役者の二人の力量によるものなのだろう。この二人の舞台上での「まあ良くこんなことが…」というようなスピード感あふれる台詞の応酬と、絶妙に合った間合い・呼吸は、他ではなかなかお目にかかれない。とはいっても、今回はバイオリンやらタップやらいろいろとやらなければいけないことが多いようで、そのあたりは苦戦の色が見えましたが…。
一つ疑問なのが、今回劇中で結構二人とも台詞をかんでいたこと。…あれはわざと?または実際言いづらい台詞だからなのだろうか?「演劇はいやだ。演劇にはテイク2が無いから」というような台詞があるあたりでの他の台詞を咬んだのはわざとかなあ…などと思ったのだが、どうなのだろう?
[PR]
by turujun | 2007-03-18 15:00 | 演劇