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舞台や展覧会など、さまざまな鑑賞活動の記録を綴る。タイトルとの関連はありません。


by turujun
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三段梯子 二段目

 KAKUTA「ROOT BEERS」が終わると同時に、明石スタジオをでて、今度は北口は高円寺純情商店街と平行している通りにある「Disco Girl」というギャラリーでの中村公美のパフォーマンス「景」を見た。
 会場に入ると、階段があり、階段を昇るとすでにパフォーマンスが始まっていた。当たり前だ。「Root Beers」が終わったのが、15時、パフォーマンスの開始も15時なのだから。
 このギャラリーは、模様のついたガラスで周りを囲まれた2階建ての家ぐらいの高さのある箱のようなビル。その中は階段と踊り場でできているといっても大袈裟ではないくらい小さなギャラリー。入り口を入って階段を上がると、まずはじめの踊り場があり、そこが受付。チラシを数枚受け取ってさらに階段を上ると2番目の踊り場の壁にモノクロ写真がびっしり貼られている。さらに階段を上っている途中で、中村が踊っているところが目に入った。パフォーマンスを良く見るには、階段を上りきって3番目の踊り場に場所を取ったほうが良いのだが、既にそこには先客が何人もいて、真剣に観賞モードに突入していたことから、そこに割り込む勇気がなく、階段の半ばの中途半端なところで最後まで見てしまったのだった。
 黒い裏地のついたえんじ色のノースリーブのワンピースを着た中村は、階段を登ったり降りたり移動しながら、モノクロ写真のプリントアウトを手に、腕を上に伸ばして、クルクルと回っていたり、手のひらで自分の鼻を押し上げたり、口元を手の甲でゆっくりとぬぐったり、その手の甲を自分の体に沿わせていったり、写真を手にしてそれをごく小さくなるまでひねりつづけたりする。こう動作だけ書いていると、退屈そうだな、よくそんなの1時間も観ていられるな、って感じだが、実際に観てみると、退屈なことなんて全然無くて、中村公美の体の動きに、「ほほー、そうきたか」と小さな発見をしながら見入ってしまっていた。彼女の体から生まれてくる動きの連なりはその前の動きと関連していて、一つの動きが体のある部分で行われている同じからだの別のところで、新たな関わりをもつ動きが生まれてくる。体は同じように動きつづけているものの、いつまでも同じでありつづけることなく、変化していること。それが私にとって興味深かった。しかもそれはずっと関連しながら繋がっていくのではなく、ときおり、手の甲を足に沿わせていたかと思うと、突然ペシッとその足をたたくような、違う動きがアクセントのように入ってきたり、突然音楽が流れたりして、
 彼女の今回のパフォーマンスは、何か表現したいことがあって、それを体を使って表現する、ということとは違って、体そのものがテーマなのかな、と思った。例えば手の甲で口をゆっくりとぬぐう動作であれば、そうすることで、どうやって口が歪んでいくか、顔のほかの皮膚はどう動いていくかが見えてくる。それは創り手である中村の体の外見の変化についての考察の提示と言えるのではないかと。いわば自分の「もの」としての体と自分の体を動かす「意識」の対話と、その成果のプレゼンテーション。そこには狙われたドラマもクライマックスもないのだけど、その体から発想されたであろう動きの一つ一つが、私の何かをくすぐりつづけているのだった。
 
 余談。仮にこれが劇場の舞台上で上演されて、私が客席で観ていたら、多分寝ていた。今回中村公美の体の動きの面白さを感じられたのは、ひとえに手を伸ばせばダンサーに触れるぐらいの(触らないけど)至近距離で観ていたからではないかと思う。それを思うと、作品のクオリティと公演のスケールというのはかならずしも比例しないな、という当たり前のことを再認識してしまった。
 
by turujun | 2004-10-24 15:10 | ダンス